アルメニアから!チャーチルも愛したブランデーのおすすめ!

ブランデー

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世界中で愛されているブランデーですが、その歴史は様々です。

最も有名なのはフランスで、コニャックやアルマニャックはその品質やネームバリューからワールドワイドなファンを獲得しています。

しかし、日本ではなかなかお目にかからないブランデーにも、素晴らしいものがたくさんあります。

今回ちょっと目を向けて頂きたいのは、アルメニアのブランデー。

アルメニアってどこ?と思った方にも、知っている!と思った方にも、是非おすすめしたいブランデーがあるのです。

ちょっと詳しく見てみたいと思います。



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アルメニアってどんな国?

アルメニアはどこ?

と言われて、きちんと示せる方はなかなかいないのではないでしょうか。

西にトルコ、北にグルジア、東にはアゼルバイジャン、南はイランと接する内陸国家です。

1991年に旧ソ連から独立を果たしました。

人口は300万人ほどで、土地面積は日本の1/13です。

数字だけを見ると小さな国ですが、ここは早くから文明の発達した地域で、紀元前6世紀には国際的な商業が行われていたと言われています。

現在の首都はエレバン。

世界最古の都市の一つです。

また、地震の多発地帯としても認識されています。

旧時代の貴重な遺跡がいくつも地震によって破壊されてしまいました。

日本も地震が多いので、通じるものを感じますね。



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アルメニアがブドウ栽培の発祥地?

国のシンボル的なものとしては、アララト山が有名です。

こちらは旧約聖書に出てくるノアの箱舟が流れ着いた山だと言われています。

「創世記」によると、初めてワインをつくったのはノア、ということですから、アララト山周辺はワイン、ブランデーの発祥地と言えるかもしれませんね。

実際、2011年には約6100年前のワイン醸造所の遺跡が、ここアルメニアで発見されています。

それ以前はエジプトのピラミッド周辺で見つかったものが最古と言われていましたが、それより1000年も古い遺跡だったのです。

この発見により、グルジア・アルメニア付近がブドウ栽培の発祥地ではないかという説が議論されているとか。

山あいがちで標高が高い土地が多いのですが、ブドウ栽培に携わる人は現在も多く、さらに増え続けています。

特にワインは世界中から注目されるほど国際的な評価も高まっており、ブランデーに関しても高品質なものが造られているようです。

アルメニアのブランデーってどんなもの?

アルメニアでは1880年代にはブランデーの製造が活発に行われていました。

現在も首都エレバンには多くのブランデー製造所があります。

ブランデー産業は国を代表するものであり、ブランデーは国民から深く愛されています。

アルメニア人の中にはフランスのよりもおいしいブランデーをつくる国だ、と自負している人もいるほど。

実際、サザビーズでは70年物のアルメニアンブランデーが120000ドルの値をつけたこともありました。

アルメニアブランデーの品質は間違いないと言えるのではないでしょうか。

アルメニアなのに「コニャック」?

フランスで造られていても「コニャック」とは呼べません。

コニャックという名称に厳しい規制があるのは皆さんもご存知の通り。

フランスの厳しい原産地呼称統制法(A.O.C)によって、コニャック地区のシャラントとシャラント地域周辺で製造されたブランデー以外はコニャックと名乗る事は許されていません。

しかし、こちらの「アララト」はアルメニア産なのに「コニャック」。

おかしいですよね?

アルメニア観光情報局によりますと、アルメニアのブランデーはその品質の高さゆえ、特別に「コニャック」と名乗ることを許された、とあります。

「コニャック」という名称を巡っては、やはりフランスともめたようですね。

実際に裁判が行われ、勝利したのはアルメニア側でした。

1880年代から高品質のブランデーをつくり続けてきたアルメニアはフランスにおけるコニャックの鑑評会にも出品し、高い評価を受けてきました。

特に有名な例が1900年のパリ国際博覧会でのアルメニアンコニャックのグランプリ獲得です。

これによって、アルメニアは「コニャック」を名乗ることを許されました。

ただ、現在は時代が移り変わっています。

EUができ、加盟国はみなフランスを支持しているため、アルメニアの「コニャック」は市場から認められません。

EU内では厳しい視線を浴びているようです。

しかし旧ソ連時代にはこの「コニャック」、アルメニア国内のみならず旧ソビエト連邦諸国で人気を博していました。

ですからそちらの地域では今も「コニャック」として認識されているようです。

そして、この議論も一応落ち着いたと見られるのが1999年。

アルメニアは「アルメニアンコニャック」という規格を導入しました。

一応「コニャック」とは違うという売りになったわけですね。

かの英国首相のお気に入り!

アルメニアンコニャック「アララト」の有名なエピソードとして有名なのは、1945年ヤルタで行われたヤルタ会談での出来事です。

第二次世界大戦中、アメリカ・イギリス・旧ソ連の3カ国首脳が集まって行われた会議でしたが、この時に英国首相ウインストン・チャーチルに勧められたブランデーがこの「アララト」でした。

旧ソ連邦書記長ヨシフ・スターリンが勧めたこのブランデーを、チャーチルはいたく気に入ったそうです。

あまりに気に入ったため、スターリンに毎年贈ってくれとお願いするほど。

その願いを受けて、スターリンは毎年このブランデーを400本、チャーチルに送っていたそうです。

よほどチャーチルの好みにはまったのでしょうか。

他にも、アガサ・クリスティやフランク・シナトラといった著名人たちも、アルメニアンコニャックをとても好んでいたそうです。

その他には、ロックバンド・ディープ・パープルのメンバーや、メドベージェフ首相なんかも、ファンらしいですよ。

このエピソードだけでも、アルメニアンコニャック「アララト」のすごさが伝わってくる気がしますね。

エレバンブランデーカンパニーってどんな会社なの?

アルメニアンコニャックと言われる「アララト」を製造しているエレバンブランデーカンパニー。

現在も「アララト」の生産を続けています。

日本でも取り扱う業者がおり、探せば入手できるようです。

どんな会社なのでしょうか。

エレバンブランデーカンパニーの歴史って?

エレバンブランデーカンパニーの創業は1887年です。

ロシア帝国時代ですね。

アルメニアがソビエトに入った後、工場は国営化されました。

創立者はNerses Tairov(ネルセスタイロフ)です。

彼はいとこのVasily Tairov(バジリータイロフ)の助けを得て、エレブニ要塞の中に工場をつくりました。

しかしその後1900年にウォッカなどの販売で有名なNikolay Shustov(ニコライシュストフ)によって完全に買収されてしまいます。

パリ博覧会でコニャックと争ってグランプリを獲得したのもこのころです。

社名は「Sustov and Sons」に変わり、ロシア帝国裁判所の公的調達師に任命されました。

1948年には工場の再編成が行われ、ブランデー工場とワイン工場が分けられました。

1953年から1991年まではソビエト連邦の一員としてアルメニアンコニャックの生産が行われていきます。

1948年から1978年まで工場で主任技師として働いたMarkar Sedrakianは1966年に、ソビエト連邦政府より「Hero of Socialist Labor」の称号を与えられました。

ソビエト連邦崩壊後は…

ソビエト連邦が崩壊し、独立したアルメニア政府はエレバンブランデー工場を競売にかけます。

取り仕切ったのはニュージーランドのアドミラル投資グループと、ロンドンのメリルリンチインターナショナルでした。

そして、エレバンブランデー工場を競り落としたのはフランスの世界的酒造メーカー、ペルノ・リカールでした。

落札金額は3000万ドル。

すごい金額ですね。

現在、工場内には旧時代の遺物を飾る記念館があり、公開されています。

旧ソ連邦時代からの歴史が見ることが出来るなんて、とても貴重ではないでしょうか。

アララトのシンボルって?

フェニックスは不死鳥として、どこの国でも再生の象徴ですよね。

アララトではこちらのフェニックスをシンボルとしています。

そもそもアルメニアには“Azarar Blbu”(アルメニアの不死鳥)という象徴が存在しており、芸術や伝統に深く関与してきました。

アルメニアという国が絶えず困難に見舞われながらも生まれ変わって再建するため、国の象徴としてあらわされることが多いからです。

ソビエト連邦時代を経て、現在は新たな試みと成長を始めています。

そんなアララトにぴったりなシンボルとして、ボトルやラベルにはしっかりと「A」の文字とフェニックスが刻まれているのです。

アララトに使われているブドウはどんなもの?

19世紀、フィロキセラ(虫害)の大流行により、世界中のブドウが大被害を受けました。

ヨーロッパのブドウは絶滅寸前までいき、多くのワイナリーや蒸留所が失われてしまいました。

アララトに使用されているブドウは、そのフィロキセラをなんとか生き抜いたものであり、他の国ではもはや見ることができないものがあります。

ボシュケハト、ガランダク、キラル、マスカル、カングン、ラカジテリなど、13種類がそれに該当します。

収穫は9月から10月にかけて。

他の国では見られない、古く歴史あるブドウを使って、品質の高いアルメニアンコニャックが造られるのです。

エイジングにもこだわりが!

アララト造りに使用されるのはアルメニアンオークです。

樽として使用されるときには、最低でも70年経った、木の中央部分を使用して造られたものが選ばれます。

このオーク樽を使用することによって、自然の香りとバニラ、キャラメル、ドライフルーツやスパイスなど、複雑でまろやかな風味が生まれます。

アララトからおすすめをいくつか!

フレンチコニャックとはまた違った味わいのアルメニアンコニャック。

著名人からも多く愛されたという味はどんなものなのでしょうか。

現在も精力的に造られている、いくつかのブランデーを見てみたいと思います。

DVIN

先ほどもご紹介した、ウインストン・チャーチルのお気に入りと言われているのがこのブランデーです。

ヤルタ会談でスターリンが勧めた、ということは当時からアルメニアンブランデーの中でもトップクラスの品質として認められていたということではないでしょうか。

ブランデー名の「DVIN」はアルメニアの中世の首都にちなんで付けられています。

1945年にマスターブレンダーMarkar Sedrakyanによって制作されました。

国際大会でも13個ものゴールドメダルを獲得し、評価の高い逸品です。

現在のパッケージは2011年に新しく造られたもので、明るく現代的なデザインが用いられています。

最低10年物の樽からビン詰めされています。

アルコール度数は50%。

カラーは美しい琥珀。

クローブとドライフルーツの豊かな香りが特徴です。

ANI

バグラトゥーニ王国の首都であった、「MightyAni」が名まえの由来です。

5世紀ごろにはシルクロードでも重要なハブ都市とされていました。

当時、コンスタンティノープル、カイロ、バグダットにも匹敵する大都市だったというからすごいですね。

今日でもこの都市の遺跡を見ることができます。

その一つである、都市のゲートにはヒョウが描かれているのが分かります。

ヒョウはこの都市のシンボルだったのです。

そしてこのブランデー「ANI」にも同様にヒョウが描かれています。

古都と同じ名を持つブランデーにふさわしいイメージですね。

こちらは6年以上の原酒のみを使用。

アルコール度数は40パーセントです。

カラーは深い琥珀。

フレッシュなブーケの香りが漂います。

さらに、アーモンド、バニラ、オレンジのアロマも感じます。

口に含むとドライイチジクのまったりとした濃厚さが広がります。

レモンのさわやかさ、酸味が程よく残り、のちにふんわりと口に残ります。

Vaspurakan

「気高い土地」という意味です古代には「Vaspurakan」は地上の楽園、約束された土地、と考えられていました。

これは9世紀ごろのアーツルニ王朝時代に支持されていた思想です。

アララトのブランデー名はほとんどがこのように、歴史に由来するものが多くあります。

こちらのブランデーは15年物の原酒のみを使用しています。

アルコール度数は40パーセント。

カラーは深い琥珀。

エレガントで複雑なアロマを感じます。

バルサミコとスパイス、ドライフルーツ、オークが美しく調和。

口に含むと円やかで円熟した甘みが広がります。

余韻が長く続き、強いフレーバーが残ります。

アララトの中ではビンテージブランデーという位置づけになります。

まとめ

アルメニア、というとなかなか私達の中でもイメージしづらい国ですよね。

しかし、歴史も古く、興味深い国です。

ブランデーの品質も本場に劣らないものですし,これは試してみる価値アリ、ですね。

ペルノ・リカール傘下ということで、比較的入手しやすいと思われます。

日本でもネットなどで購入できます。

興味の湧いた方は是非、試してみるといいかもしれませんね。

ブランデー