バーボンの語源に隠されたフランスの歴史とは?

バーボン

バーボン

アメリカ生まれアメリカ育ちのウイスキー、バーボン。

独自の材料と製法で作られ、「アメリカの偉大な発明品」とまで言われてる生粋のアメリカのお酒です。

しかし、バーボンと言う名前は、もともと1780年代のフランス王朝ブルボン家から名付けられました。

アメリカと関係のないフランスがどうして…と思われるでしょう。話はアメリカ独立戦争にさかのぼります。



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イギリスから独立を!アメリカ独立戦争勃発

1775年から1783年の8年間、アメリカはイギリスからの独立を目指して戦っていました。

その頃のケンタッキー州はバージニア州の一部で、当時13あったイギリス植民地の内の1つでした。

プランテーションと呼ばれる大規模農業経営が始まり、働き手として

アフリカから黒人を無理やり連れてきて奴隷として売りさばいていたのもこの時代です。

バーボンの主原料であるトウモロコシも、その黒人達によって栽培されていました。

独立戦争のきっかけはイギリス対フランスのアメリカでの植民地どうしの小競り合い、

加えてヨーロッパ本土での7年戦争でした。長引く戦争により国のお金が足りなくなってきたイギリスは、

植民地の状況を無視して、もっとお金を寄越せと勝手に議会で増税を決定したのです。

これには植民地で暮らす人たちも怒りが収まりません。

もともと議会に参加する権利がないのだから、納税する義務はないと本国イギリスに反発しました。

独立戦争の始まりです。



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フランスさん、ありがとうの気持ちを込めて

その時フランスはルイ16世の時代。ブルボン朝時代です。「bourbon」英語読みでバーボンと読みます。

フランスはイギリス植民地の味方をしましたが、それは当時世界で一番力を持っていたイギリスを抑え込み、

新たに生まれようとしている「アメリカ」という国と手を組む為でした。ヨーロッパ諸国の協力もあり、

アメリカ・フランス連合軍が勝利を納め、パリ条約でアメリカの完全独立が決まったものの、

アメリカがフランスの主要貿易国にはならず、フランスは戦争での莫大な出費も重なり、経済的に追い詰められていきます。

さらにアメリカの独立に触発されたフランスの民衆はフランス革命を起こしてしまいました。

本当に踏んだり蹴ったりですね。しかし最初から変わらずアメリカの独立に協力してくれたフランスに対し、

後に合衆国大統領となるトーマス・ジェファーソンがケンタッキー州の郡の1つにバーボンと名付けたのです。

ま、郡の名前をブルボン王朝から取ってくれたからと言ってフランスの経済はもう元には戻りませんでしたけどね。

ケンタッキー州バーボン郡の底力

さて、バーボンと言えば主原料がトウモロコシ、なぜトウモロコシをウイスキーにしたのでしょう?

独立戦争で散財した分を増税で賄おうとした政府はウイスキーにも消費税を課しました。

ウイスキーを製造していたアイルランド移民はこれに反発して、大暴動をおこしたのです。

困った政府は問題を収束するために、アイルランド移民にバーボン郡の土地を提供ましたが、

今まで栽培していたライ麦じゃなく、トウモロコシ栽培をすることを条件としました。

しかしバーボン郡の人達は転んでもただでは起きません!したたかです。

ライ麦でなくトウモロコシでなんとかウイスキーを作れないものかと試行錯誤して、

最終的には独特の香味で他のウイスキーとは一線を画すウイスキーを作り出してしまいました。

それがバーボンです。当時アメリカ東部ではライ麦のウイスキーが作られていましたが、

それと区別するため、西部の人達はこのコーン・ウイスキーを「バーボン」と呼び愛飲しました。

独立戦争でおなじみのジョージ・ワシントンも、もともとはウイスキーを作っていたのですよ。

まとめ

大人の男の飲み物というイメージのバーボンですが、

やはり戦いの中、時世に揉まれて作られた骨太のお酒だったようです。

当時アメリカ側として、本国の経済状況も気にせず(後でアメリカの主要貿易国になりたいとの野望があった為ですが…)

戦ったフランスの頑張りに思いを馳せつつ、ゆっくりとグラスと傾けたいと思います。

バーボン