バーボンをアメリカの歴史から紐解く!バーボンヒストリア

バーボン

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バーボンはアメリカ合衆国のケンタッキー州で多く造られているアメリカンウイスキーのひとつ。

原材料はトウモロコシ、他にも麦などを使う事が多いですが、基本的に原材料の半分以上にコーンを使用したものが「バーボン・ウイスキー」と呼ばれます。

これは一般的に良く知られた事実ですが、その名称のルーツや詳しい定義を説明出来る人はどれ位いるでしょうか。

今回はバーボンが生まれた経緯や歴史、バーボンと呼ばれるためのルールなどをご紹介していこうと思います。

お酒の席でこの蘊蓄を披露すれば、カッコいい大人として尊敬される…かも?

バーボンを歴史から読み解く!バーボンヒストリア



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そもそもバーボンって何?

バーボンとコーンウイスキー

バーボンがトウモロコシを主原料としたウイスキーだということは先に述べましたが、では全てのトウモロコシのウイスキーが「バーボン」と呼ばれるのかと言うとそうではありません。

トウモロコシを主原料としたウイスキーの本来の名称は「コーンウイスキー」です。

実はバーボンもこのコーンウイスキーの一つの呼び名であり、広い定義で言えば同じ物なんですよね。

バーボンの定義とは

現在はアメリカの法律によってその定義は定められており、トウモロコシ・ライ麦・大麦・小麦が原材料の51%以上に使われている事。

それを連続蒸留機でアルコール度数80%以下の蒸留酒とし、さらにその蒸留酒に水を加えてアルコール度数を62.5%以下にしたものを、内部を火で焼き焦がしたホワイトオークの樽に入れて熟成させている事。

瓶詰めの時はアルコール度数40%以下であるアメリカ合衆国産のウイスキーである事が条件となっています。

こういった風に、現在でははっきりとした定義というものがあるのですが、バーボン・ウイスキーという呼称が生まれた時代には「コーンウイスキーの一種」として考えられていたお酒なのです。

ちなみに、日本ではこういったきまりはなく、皆一律に「ウイスキー」として扱われます。



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バーボンという呼称の由来

bourbon=バーボン?違いますブルボンです

バーボンを英語で書くと「bourbon」となるのですが、この英単語は日本人の多くが、コンビニやテレビCMなどでよく見かける単語です。

おそらくほとんどの方がお菓子売場で一度は目にした事がある、超有名な某製菓メーカーですね。

実はバーボンという名称はフランスのある王朝から由来していて、その王朝の名前がフランスの「ブルボン王朝」です。

バーボンのラベルを見てもらえば一目瞭然ですが、スペルも某有名菓子メーカーと全く同じだという事が分かると思います。

アメリカなのに何故にフランス?

このブルボン王朝は、アメリカ独立戦争の時に現在のアメリカ側についており、そこで多大な功績を挙げアメリカ側に多大な利益をもたらしました。

これに非常に感激した後のアメリカ大統領トマス・ジェファーソンが、ブルボン王朝への感謝のしるしとして、ケンタッキー州の郡の一つに「バーボン郡」と名前をつけたのでした。

…という事で、ケンタッキー州で造られたウイスキーを「バーボン・ウイスキー」と呼ぶようになったという訳です。

現在ではコーンウイスキーと原材料や製法による定義分けがされ、「バーボン」という一つのお酒として確立していますが、元々は「バーボン郡のウイスキー」という生産地を表す言葉だったんですね。

バーボンは失敗から生まれた?

バーボンの生みの親

今では全世界に多数の愛飲者がいるバーボンですが、一説によると元々は失敗によって生まれたお酒だと言われています。

バーボンを初めて造ったのは、アメリカ合衆国の牧師エライジャ・クレイグ。

クレイグは若い時はなかなか型破りな牧師さんだったようで、教会の説教の際に過激な発言をして一時収監された事もあったとか。

しかし地元ではかなりの名士として名を馳せており、実業家としての腕前は確かなものだったようです。

このクレイグが副業として目を着けたのがウイスキーの製造で、1789年頃にケンタッキー州のジョージタウンにウイスキーの蒸留所を建てました。

ここで日夜ウイスキー造りに精を出していたクレイグでしたが、ある日うっかりして内側が焼けた樽の中にウイスキーを入れてしまい、これまたうっかりしてその事を忘れてしまいました。

それから何年かしてクレイグがその樽を見つけて開けてみると、何だかいい香りの赤みがかった液体が。

試しに味見してみたところ、これがまた美味しく、「これは売れるかも」と思って売ってみたら本当に売れちゃった(現在の規模と比べて桁違いに小さいものですが)という、まさにアメリカンドリーム。

そんな失敗から生まれたお酒が、今や全世界で愛される物になっているというのはすごスゴい話ですよね。

こぼれ話~ヘヴン・ヒル・ストレートバーボン

クレイグが創った蒸留所は残っていませんが、現在はヘヴン・ヒルというウイスキーメーカーが造っているストレートバーボンのブランドとして、エライジャ・クレイグの名前が使用されています。

本場ケンタッキー州のバーボンで、日本でもなかなか有名なブランドですが、バーボンの歴史を体感する意味でおすすめのバーボンです。

バーボンが広まった理由とは

バーボンの発展と禁酒法の関係

今や全世界で飲まれているバーボンですが、元々ケンタッキー州の一軒の蒸留所で造られていた物が、何故こんなに多く造られるようになったのでしょうか。

これにはかなり有力な説があり、それが「禁酒法」によるお酒不足によるものと言われているものです。

その説よると、禁酒法によりアメリカ国内のアルコール度数の高いお酒がどんどん無くなっていってしまい、当然造る方も廃業や休業を余儀なくされた時代がありました。

お酒を造る人や施設が無いので、禁酒法が効力を失った後も暫くお酒が足りない時期があり、その際に他のウイスキーより短期間で造れるバーボンが、アメリカ国内に爆発的に広まって行ったのです。

バーボンの市場が国内を席巻していく中で、その市場はいつしか海外にも広がって行き、現在の世界規模のマーケットが確立されたという事です。

噂の真相は?バーボンの来歴についての考察

この説を裏付ける情報として、実はバーボンはかなり理に叶ったお酒だという事実があります。

バーボンは、焼き付けた樽にウイスキーを詰める事で酒に樽の香ばしさを移し、熟成期間を短縮するという画期的なウイスキーでした。

お酒が足りないアメリカ国内では、その早く造れるという所が人気を博した訳ですね。

しかし実際のところ、この説を否定する専門家も少なくありません。

事実、バーボンはその百数年前から存在していますし、アメリカ国内でそれなりに飲まれているウイスキーでした。

この事から一部の専門家からは、ある程度の人気の広まりはあったが、禁酒法が直接的な影響を及ぼしたとは考えにくいとして否定されているのです。

しかしながら禁酒法以前のバーボンは、どちらかと言えば安酒として見られる傾向にあり、決して万人に好まれる物では無かったようです。

ですので、現在のようにお金持ちでもそうでない人にでも、誰しもに飲まれるお酒では無かったと仮定すれば、禁酒法が現代バーボンに与えた影響は小さく無かったというのは間違いありません。

実際に禁酒法解禁ごろから蒸留所が増え、バーボンの味についても研鑽が重ねられて来た訳ですからね。

何が正しいにせよ、バーボンが現在のような多様性を持つようになったのは、禁酒法によるアメリカ人の文化の変化が大きく関わっているのです。

このバーボンの発展についての話はなかなか一概にして語る事は難しく、多くのマニアや専門家達の間で未だに論議されている問題です。

しかしながら奥が深い話でもあり、酒の肴として友達とワイワイと語り合いながら飲むのもまた一興です。

まとめ

ここまでバーボンの歴史や定義などについて書いて来ましたが、別にこれを知らないからといって、当然バーボンの美味しさに何ら悪影響はありません。

しかしお酒を提供する側の方には、お客さんに語る蘊蓄としてはなかなか面白い話だと思います。

また、バーボン好きが集まった所では、ある程度知識があった方が深く語れますし、その歴史に想いを馳せながらしっとり飲むのも乙なものですよ。

楽しく深いバーボン談義に花を咲かせながら、今日も美味しい一杯に舌鼓を打ちましょう。

バーボン