開拓時代のアメリカから!アメリカが愛するブランデー・アップルジャックってどんなお酒?

ブランデー

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ブランデーといえばコニャックやアルマニャックと並んで、カルヴァドスも人気がありますよね。

カルヴァドスの原材料はリンゴ。

ブドウから造るコニャックやアルマニャックとは違った美味しさを持ち、世界中にファンが多いブランデーです。

そんなカルヴァドスと同様、リンゴで造るブランデーはアメリカでも長く愛されてきました。

アメリカではアップルジャックと呼ばれていて、古い歴史を持つんですよ。

どんなブランデーなのか、見てみたいと思います。



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アップルジャックとアップルブランデーとカルヴァドス…違いは?

これらはすべて、リンゴを原材料とする蒸留酒です。

特にカルヴァドスはフランス・ノルマンディー地方で造られたもののみを指します。

コニャックやアルマニャックと同様に、原産地呼称規制(AOC)によって厳しく規制されているからです。

それではそれ以外のリンゴで造られたブランデーはどう呼ばれるのかというと、単純にアップルブランデー。

リンゴで造られたただのブランデーというわけです。

それでは、アップルジャックはどうでしょう。

これも、基本的にはアップルブランデーとなんら変わりません。

フランス・ノルマンディー以外で造られたリンゴのブランデーというだけのこと。

ですからアップルブランデーはアップルジャックで代用可能です。

カルヴァドスもリンゴ原材料という意味では同じですから、カクテルなどに使うなら味的には問題ありませんね。

しかし、味的には、というのが注意すべきポイントです。

カルヴァドスはアップルブランデーの中でも高い位置にあると見られます。

限られた地域、製法でしか作られませんから、付加価値が高いというわけです。

カルヴァドスを欲する人はその価値に意義を求めています。

どこのリンゴで造られたブランデーでもいいわけではないのです。

ですから、カルヴァドスをくれというお客さんにアップルブランデー出すことは失礼にあたりますね。

お客さんが飲みたいのは「カルヴァドス」であって、ただのアップルブランデーではないのです。

これと同様、イギリスではアップルジャックはアップルブランデーより格下という位置づけが成されています。

イギリスではアップルジャックというと、主に良質ではないアップルブランデーを指します。

ですからイギリスでアップルブランデーの代わりにアップルジャックを出せば、お酒のグレードを下げたと思われることでしょう。

たとえ同じ原材料を使っていても、ブランデーの格としては異なるので、注意が必要かもしれません。



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アメリカの象徴的食べ物と言えば、リンゴ?

アメリカのリンゴ愛は大変なものがあります。

リンゴは17世紀後半にヨーロッパから持ち込まれ、開拓時代にはトウモロコシ、ジャガイモと並ぶ重要な食材でした。

ですから、アメリカにはリンゴにまつわる話や言葉がたくさんあるのです。

一つの例として、アメリカの子供達が教科書で必ず習うお話に、「ジョニー・アップルシード」という物語があります。

彼は開拓史時代の、リンゴにまつわる伝説的人物です。

なんでも、開拓時代初期の東部から中西部へリンゴの種をまいて育てて回ったとか。

リンゴを植えて人々を助けたとして、開拓史時代の代表的な人物として今も語り継がれているのです。

当時リンゴは環境への適応力が割合に高く、貴重な食材でした。

生水が危険とされ、小麦が希少だったので、水分と炭水化物を摂取できるリンゴは大変重宝されたのです。

さらにこのリンゴをアップルパイにすることによって、貴重な小麦をかさましでき、満腹感も得られました。

今ではおいしいデザートのアップルパイですが、当時のアメリカの人たちにとっては主食だったのです。

アメリカの始まりともいえる開拓史時代。

人々を支えたリンゴが、国民的食べ物の象徴とされるのもわかりますよね。

アメリカとリンゴの関わりの深さが分かります…

「As American as apple pie」なんて慣用句があるのですが、ご存知でしょうか。

(アップルパイと同じくらい)極めてアメリカ的な、という意味ですが、こんな表現があるほど、リンゴはアメリカの文化に深く根ざしているのです。

他にも、「applepieorder」(整然と整った様子)なんていう表現もありますよ。

リンゴが一つ一つきちんとならんでパイになっている様子からきた表現とか。

「applepolish」はごまをする、とかご機嫌をとる、という意味です。

リンゴが賄賂として使用されていたのでしょうね。

リンゴにまつわる表現は他にもたくさん見られます。

人々にとって欠かせないものだったリンゴがブランデーの原材料として使用されていたというのは、当然のことなのでしょうね。

アップルジャックの作り方って?

アップルジャックはカルヴァドスなどと同様、リンゴを原材料とした蒸留酒ですが、伝統的製法では他とは違った特徴が見られます。

それは凍結濃縮法です。

まず、リンゴを発酵させてアルコール飲料を造ります。

こうしてできたものはシードルと呼ばれ、ブランデーの原酒となります。

生水を飲むのが危険な時代には、幼児でもこのシードルを飲んでいたそうです。

貴重な水分源だったというわけですね。

このシードルを冬季、寒い中に放置して製造します。

寒中に放置することでシードル中の水分は氷結します。

氷結した水分を定期的に取り除くと、凍る事のないアルコール分のみが残ります。

これをくりかえすことでアルコール分は濃縮され、当初は10度にも満たなかったアルコール度数は25から40度ほどにも高くなるのです。

この方法ですと、熱を使わないので薪を燃やしたりする必要もなく、手軽に製造することができました。

飲料水を手に入れるのが困難で、冷涼な気候だったアメリカ北部では特に重宝されました。

アップルジャックの現在は…

伝統的には凍結濃縮法を使用し造られてきたアップルジャック。

かつては人々の生活の上で欠かすことのできない存在でした。

しかし、アメリカが発展し、生活が豊かになるにつれてその存在感は薄くなってしまいます。

飲料水はたやすく手に入るようになりましたし、アルコールも様々なものが溢れるようになりました。

人々はアップルジャックのみに頼る必要がなくなったわけですね。

さらに、健康上の問題も指摘されるようになりました。

伝統的な製法である凍結濃縮法は、アルコールを濃縮させるだけではなく、人体に有害な成分までも濃縮していたのです。

現在はこの問題のため、多くの国では凍結濃縮法は使用禁止とされています。

19世紀にはパスツールとベルナールによって加熱殺菌法が発明され、衛生的でおいしい飲み物が溢れました。

このような影響もあって、アップルジャックを製造する会社はなくなっていったのです。

アメリカ最古の蒸留所、レアード

アップルブランデーは植民地時代には大変普及していたというのは前述のとおり。

そんなアップルジャック、ニュージャージー植民地では道路建設隊への賃金として支払われていたそうです。

アップルブランデーが「ジャージーライトニング」とも呼ばれるのはこのためです。

このニュージャージーでアップルジャックを製造し、アメリカで一番早く認可を受けた蒸留所がレアード・アンド・カンパニーです。

アメリカ国内に残る唯一のアップルジャック醸造所でもあります。

開拓史時代から現在まで、長い歴史を持つこの会社、どんな会社なのでしょうか。

アップルジャックを語る上で欠かせないレアード・アンド・カンパニーを詳しく見てみたいと思います。

レアード・アンド・カンパニーとアメリカ大統領

彼らがアップルジャックを製造し始めたのは1698年です。

そして1780年にはスコイーヴィルで国内初の商業蒸留所として認可を受けました。

彼らの歴史は古く、そしてアメリカ建国とも深く関わる由緒ある家柄です。

レアード・アンド・カンパニーの初代当主、ロバート・レアードはかのジョージ・ワシントンの下で独立戦争に参加していました。

彼の軍隊のために、アップルジャックを供給していたのです。

ワシントンはレアード家のアップルジャックが気に入ったのか、レシピを要求しています。

これは歴史的記録にも残っていて、ワシントンの日記にも書かれています。

大統領となる人にレシピを聞かれたら、断れませんよね。

ジョージ・ワシントンはファミリー以外でレアード家のレシピを知るただ一人の人物となりました。

また、ゲティスバーグの演説で有名な第16第大統領、エイブラハム・リンカーンもレアードのアップルジャックを味わっています。

彼らの蒸留所の近くにあるコルツ・ネック・インに宿泊しました。

(このインを経営していたのもレアード家です。)宿泊代金は1泊12ドル50セント。

食事代は25セントだそうです。

レアード家の記録として残っているからすごいですよね。

他にも第9代大統領ヘンリー・ハリソン、第36代大統領リンドン・ジョンソンなど、そうそうたる顔ぶれがアップルジャックを愛飲していました。

まさにアメリカ建国の時代からの飲み物。

廃れてしまったとはいえ、国民的ドリンクと言われるのも頷けますね。

禁酒法時代のレアード・アンド・カンパニーは?

1920年から1933年まで、アメリカでは禁酒法が施行されました。

これにより、消費の為のアルコールの製造、販売、輸送は全面的に禁止されるようになりました。

アップルジャックを製造していたレアード・アンド・カンパニーにとって、まさに死活問題です。

この禁酒法時代、彼らはスイートサイダーやアップルソースなど、アルコール以外の様々なリンゴ製品を製造することで存続を果たしました。

1933年9月には薬用目的でのリンゴの蒸留ライセンスを取得します。

これによって当時の当主、ジョンとジョセフ兄弟は禁酒法下でもアップルジャックの製造を続けることができました。

そんな中、同年に禁酒法は廃止。

おかげで造られたアップルジャックはすぐに市場に出荷できるようになりました。

しかし、これでめでたしめでたしとはいかないのが現実です。

禁酒法時代でも、東部では違法アップルジャック蒸留所がこっそりと生産を行っていました。

ボトルに入れて売られていた違法アップルジャックは、当時もっとも安全なスピリッツと思われていました。

リンゴのみを使用し、不純物が混ざっていないとされていたからです。

禁酒法時代が終わると、こうした違法蒸留所はすべて合法とされました。

そこら中にアップルジャックが溢れています。

しかしそれらのほとんどはレアード・アンド・カンパニーのアップルジャックとは雲泥の差。

品質も味も、まったくひどいものでした。

悪質アップルジャックの蔓延に対抗しようと、ジョンはこれら違法蒸留所を買収して回ります。

この買収以来、レアード・アンド・カンパニーはアメリカ国内でアップルジャックのシェア95%を誇るようになりました。

その後もレアード・アンド・カンパニーは継続的にアップルジャックを作り続けています。

中断したのはただ一度、第二次世界大戦時のみ。

この時工場は戦争を支えるため、他の製品の乾燥や脱水に使用されていました。

以後レアード・アンド・カンパニーは生産を継続し、1951年、とても素晴らしい記録を達成します。

禁酒法が廃止になって以降、出荷100万ケースを記録したのです。

この特別な記録を祝って、従業員には勤続年数1年につき1枚の銀貨が配られたというからすごいですよね。

レアード・アンド・カンパニーのおすすめアップルジャック!

レアード・アンド・カンパニーはアメリカで唯一、アップルジャックとアップルブランデーの製造をおこなっていますが、その生産規模は年間およそ40000ケース。

あまり多くはありません。

現在アップルジャックはあまり消費されていないので、レアード・アンド・カンパニーも他のアルコールに力を入れています。

フランスやイタリアから原酒を仕入れ、ブレンド、ボトル詰めを行っているのです。

残念なことにアップルジャックの生産量はレアード・アンド・カンパニーの5%にしかすぎないそうです。

しかし、やはり唯一のアップルジャックメーカーということで、アップルジャックを語る上でははずせません。

おすすめを見てみたいと思います。

Laird’s Applejack

リンゴのブランデーにグレインのスピリッツがブレンドされています。

カナディアンウイスキーに似た、どこかブロンズを混ぜたような琥珀色です。

これはカラメルが混ぜられているからです。

香りは青りんごのようなさわやかな香り。

口に含むと少しスパイシーで、オーク樽を感じます。

アップルサイダーとウォッカを混ぜたような味わい。

氷を入れて、冷たくして飲むとより清涼感がアップしておいしく頂けますよ。

料理やお菓子造りに使用したり、アイスクリームにかけて食べるのもおすすめ。

まとめ

アメリカの開拓時代からの歴史を持つ、アップルジャック。

日本ではあまり聞きなれませんが、アメリカの人にとってはどこか懐かしいブランデーなのでしょうね。

実際、アメリカ家庭で祝われる感謝際のドリンクとしておすすめされたりしています。

日本での入手は難しいかもしれませんが、もし見つけたら、是非お試しを。

オールド・アメリカンな味わいを楽しむことができますよ。

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