カシオの電子辞書EX-wordが大好きでたまりません
電子辞書が便利で、好きで、今では自宅ではもちろんですが、外出の際にも手離せない存在です。
電子辞書を自分も持ちたいと思ったきっかけは、知人の女性がスマートに使うシーンに、直接触れたからでした。
実際に使ってみるまでは、便利なのだろう思っていたものの、自分にとってこれほどまでに楽しい存在になるとはわかりませんでした。
私が感じる電子辞書の魅力について、素直に綴ってみようと思います。
電子辞書を使っている人を間近に見た体験の大きさ
彼女はハンドバッグから電子辞書を取り出した
年上の知人女性に知的な美しい方がいて、 数年前のあるとき、二人で食事をとる機会がありました。
偶然でしたが互いの職場が近く、その日は私は非番でしたが、職場の最寄りの駅近隣で早めの夕食を取ることになったのでした。
愉快なディナー後、近くの公園を並んで散歩していて、公園内の沼に生い茂る植物を眺めながら、「この植物の漢字が書けるだろうか」という話題になったときのことでした。
彼女が軽やかな仕草でハンドバッグから取り出したのが、電子辞書でした。
彼女は慣れた様子でその電子辞書を開くと、ぽんぽんぽんとリズミカルに操作をして言いました。
「やっぱり書けないかも。葦でしょ。ねえ見て」これが、電子辞書を使う人をごく間近に見た私の初めての体験だったのでした。
電子辞書を自分も携帯したくなった私
この知人との会食は今から数年前の出来事で、当時まだスマートフォンを持っていなかった私は、彼女が見せてくれた葦の画像の鮮明さに感動しました。
植物図鑑らしき図鑑が知人の電子辞書には掲載されているということで、電子辞書の画面上に現れた葦の写真は、私たちの目の前の植物と寸分違わず。
明るく映し出されて、それはわかりやすく載っていたのです。
葦の画像を眺めながら私は、数日前に別の知人が会話の中で、好きだと言っていた花の名前を思い出していました。
「オオイヌノフグリ」という少し変わった名前だったので、すぐに憶えてしまった野の花でした。
それを検索してもらうと、美しい水色をしたオオイヌノフグリの写真が、見事に瞬く間に画面上に現れたのでした。
次の瞬間、私は思わず彼女に聞いてしまいました。
「いつも持ち歩いているんですか」彼女は笑顔で即答でした。
「だってすぐにその場で調べられるでしょ」彼女がとても美人だったということも、もしかしたらあったのかもしれないのですが、この短いフレーズと知的な笑顔が、どのCMにも勝って、私に電子辞書を欲しくさせた瞬間でした。
私が選んだのはカシオの電子辞書EX-word
やはり写真が印象的だった
日常の中に組み込まれたかのように電子辞書を楽し気に操る知人の姿を目の前で見て、すっかり電子辞書に魅せられてしまった私は、ほどなくして、植物や鳥の図鑑を掲載している、自分専用のカシオの電子辞書を持つようになったのでした。
私が選んだのはカシオの電子辞書EX-wordでした。
知人が携帯していた電子辞書の名前を訊ねなかったのですが、私なりにとても納得のいっている電子辞書です。
動物と植物が子供の頃から大好きな私は、いきものや花や草木について豊富な情報を載せている電子辞書を自分と一緒に携帯できることが喜ばしくてなりません。
もちろん難しい横文字の辞典や、外国語の辞書も収録されていますし、冠婚葬祭に関するマナーや、手紙文の書き方など、必要時にはすぐに参考になりそうな情報も詰まっているのですが、カシオの電子辞書を持ち歩くことは、まるで、可憐な野の花といつも一緒にいるような、どこかうきうきする、私にとってはそんな感覚なのです。
実際に電子辞書を使ってみて初めてわかる奥深い楽しさや便利さ
カシオの電子辞書をテレビや新聞の広告で目にする機会が、ちょうど増えていた時期でした。
しかし、辞書何冊分を掲載、とCMで華やかに謳われてみても、やはり自分で持ってみて初めてその楽しさがわかるものです。
知人にあの公園で感じた、何かを知りたい瞬間にその場で一人で検索できる喜びは、大きいです。
ここ2年ほどで、電子辞書に遅ればせながらスマートフォンを持つようになった私ですが、スマートフォンでの検索との違いは、私の中ではですが、電子辞書に掲載されている辞典が、例えば広辞苑であるなど、多くのプロフェッショナルな人の手による膨大な年月を経て出版されていることへの、情報への信頼度の高さです。
また、電子辞書というくらいですから、使用には常に電源が要り、単3の乾電池2つが動力源です。
初めの2年くらいで、自分の場合はどれくらい使用すると電池交換が必要かを掴んだので、充電式の乾電池を持っていることもあり、電池の寿命がなくなる前に交換することも体得しました。
以後は出先で電池が切れることはありません。
カシオの電子辞書のここが好き
漢字好きにはたまりません
動植物に加えて、私は漢字が学生時代から好きで、新聞で読めない二字熟語などを見つけると、つい自然に体が反応してしまい、その文字をノートに書き写す習慣があります。
完全に覚えてやろうとか、習得して誰かに自慢しようとかそういうことを考えているわけではないのです。
たぶん、これが本当に漢字が好きということで、漢字が読めないことにシンプルに気持ちがむずむずしてしまうのです。
また私は、熟語だけではなく、言葉の意味が分からなくても同じようにむずむずとし、その前後の文章を繰り返し読んで、頭の中でその言葉の意味を想像してから辞書を引くというマイルールを長年継続しています。
そしていよいよ国語の辞書を引いたときに、当たらずも遠からずであれば、「よし!自分、できる!」と、一人勝利のこぶしを突き上げるのです。
誰に見せるこぶしでもない、純粋な、心の中の喜びのこぶしです。
タッチペンが楽し過ぎる
カシオの電子辞書は本体の後ろの部分に、取り外しが可能なペンを備えています。
また、二つ折の本体の文字盤の側には、手書き文字を入力できる液晶が設けてあります。
その場所にペンを使い、手書きで読めない漢字を記入すると、読み方が即座に表示されるという仕組みです。
ぶ厚い漢和辞典で部首や総画数から読めない漢字の読みや意味するところを調べていた長い時代は、いよいよ私の中でも、過去のものになったのです。
このペンが楽しくて、難解な漢字を小説の中で見つけてはカシオの電子辞書をいそいそと開き、手書き入力をして文字を読む喜びを味わっています。
何て地味な喜びだと思われそうですが、一人ひとりの本当の喜びは、案外、これくらいに、人それぞれ地味なものなのではないでしょうか。
漢字が好きな私は、調べることも、読めることも、嬉しくてならないのです。
心の中の勝利のこぶしと同じで、誰にもこの嬉しさを声高に伝えたこともないのですが。
「おおー、こう読むのかあ」「こんな漢字は初めて出会った」誰も周りにいないのに、こう、ひとりごちる時間が心から幸せなのですから、仕方がありません。
今では親友の様に毎日携帯しています
荷物の中には必ず電子辞書
電子辞書を使う喜びを知ってしまった私は、今では化粧ポーチと同じくらいに外出時に手離せない存在に昇格しています。
ハンドバッグが重たく感じられるとき、何か一つをバッグから取り出してでも、電子辞書は荷物の中に入れて外出する習慣になりました。
バッグの中に納まっていて、出番がない時にも存在感を感じるだけで嬉しいのです。
外出時には荷物の軽量化と身軽さをずっと重視してきた私にとっては、自分でも意外な、電子辞書の存在です。
こんな人にはぜひ、電子辞書を持ってほしい
新しい知識を人に伝えるためではなく、自分自身が何かを知ることが心から楽しいと感じる。
場所を選ばずに新しい知識を増やせて、疑問を解消できる可能性を秘めた電子辞書を、そんな人に、ぜひ、おすすめしたいです。
使った人にしかわからない大きな喜びを電子辞書はきっとあなたに届けてくれると、信じています。
まとめ
電子辞書がどれだけ流行っていても、便利だと宣伝で見ても、聞いても、ほんとうに心が動くのは使ってからです。
パソコンにあらかじめ備えた豊富な機能をすべて使いこなしている人はほとんどいない、とよく聞きます。
電子辞書も同じだと感じます。
自分にとってまだ未知であった知識や情報を、今日にも自分に提供してくれる可能性に満ちた友達として、私は電子辞書が、好きでならないのです。