電子辞書は勉強にならない?(感想、レビュー)
約20年くらい前だろうか。
私が高校1年生のとき、とある通信講座のおまけとしてついていた英和の電子辞書を初めて目にした。
それまでは、辞書といえば分厚くて重いものが通常であったが、勉強でこのハイテク辞書が使えるのかと思うとわくわくしたことを思い出す。
だが、結局その電子辞書はあまり使われることがなかった。
高校英語の難しさと電子辞書との出会い
私は一応地域でも有名な進学校に進んだ。
そこは英語に特に力を入れていて、教科書の他にサイドリーダーと呼ばれる英語で書かれた薄い文庫本を読むことも課題とされていた。
もともと英語が苦手だった私は、このボリュームだけで一気にモチベーションが奪われた。
一回目のテストは丸腰で臨んだところ、B4の用紙の表裏にびっしり書かれた問題用紙が4枚と、1枚の解答用紙が出され、60分でその場で英語を読むことは無可能な量であったため、半分以上を白紙で出したことを覚えている。
そこで、普通にやっていたのではダメだと思い、通信講座のお試しコースに申し込んだところ、上記の電子辞書がおまけとしてついてきたのである。
電子辞書を試しに使ってみた
電子辞書が届くまでは、テストで良いテンスを取るためには日々の積み重ねが大事だと思い、サイドリーダーを読み始めたが、やはりわからない単語が多すぎて1日1ページ読めるかどうかというレベルであった。
こんなペースでは到底間に合わずに諦めていたが、電子辞書はまさに救世主に思えた。
いちいちページをめくることなく単語を入力すると意味が出てくる、今後の勉強に明るい兆しが差し込んだかに思えた。
意外と使えない
最初は電子辞書の目新しさも手伝って面白く使いながら勉強していたのだが、1週間もたたずに意外と使えないことがわかってきた。
これは当時の機器レベルが低かったせいもあるが、一つの単語につき一つの意味しか出てこず、それだけでは本に書かれている文章の意味がまるで分からかなったのである。
単語の一つの意味が分かっても、一つの文の意味が分からない。
これでは勉強していないことと一緒であった。
英語からの逃避
救世主に思えた電子辞書が全く使えないことが分かり、すっかり英語の勉強に身が入らなくなった私は、英語の勉強をまるでやらなくなった。
当時のテストの成績はさんざんたるもので、先生もさぞかし採点が楽だったと思う。
そんなことが高校3年の夏前まで続いた。
一念発起
高校3年の夏、いよいよ受験と意識したころ、学年でもトップクラスの人に英語の勉強方法を聞いたところ、彼は電子辞書は使っておらず、普通の辞書を使って単語を調べ、一度調べた単語にマーキングをしているとのことだった。
もう一度調べたときに、悔しさから覚える気になるということらしい。
自分はすかさずこの方法をまねした。
結局、大学入試が終わるまで電子辞書は使わず、この方法でやり通した。
この成果があるのかないのかはわからないが、英語に苦手意識はありつつも、何とか大学入試は乗り切った。
再び英語からの逃避
もともと英語が苦手で好きじゃなかったため、大学に入ってからは一切勉強しなくなった。
おそらくこの間に自分の英語力はどんどん落ち、その後社会人になってからも英語からは逃避し続けていたため、会社で無理やり受けさせられたTOEICは400点にも満たない点数であったと記憶している。
再び一念発起
これからのグローバル社会において、さすがにこれではまずいと一念発起したのが社会人になって8年目の時であり、このときは既に結婚していたため、妻が学生の時に利用していた電子辞書と巡り合った。
これを使用してみると、なんと使い心地が良いことか。
私は文明の発展の速度を甘く見ていたようである。
まとめ
今では、電子辞書といえば英和に限らず和英はもちろんのこと、国語や漢字、イタリア語やフランス語、中国語だって当たり前のものとなっている。
しかも一つの機器にそれらが複数搭載されており、調べれば発音までしてくれるという優れものになっている。
音声認識があれば、いちいちキーで入力しなくても即座に意味を調べることが可能だ。
これを利用できる現在の中学生、高校生がうらやましくてならない。