まさかの白いママチャリ?なぜこの自転車を買う事になってしまったのか
私は学生時代自転車で通学していました。
高校を卒業し専門学校に通う事になった私は、新しい自転車を購入することになり自転車を探しに行きました。
学生時代に使っていた自転車は学校指定の通学用自転車だった為、次買う自転車はオシャレでかっこ良い自転車を購入する予定でしたが、なぜかママチャリを購入するはめになってしまったお話をこれからしていきたいと思います。
初めての自転車の記憶
私が初めて自転車に乗ったのは、4歳ぐらいの時だったと思います。
親が選んだ自転車を買ってもらい、補助輪を付けて乗っていました。
初めて見る自転車に嬉しさみたいなものは当時ありませんでした。
これが何なのかもわからず、よくわからない物に乗せられている感覚でした。
しかし、回りの友達が補助輪無しで乗っているのを見た時自分も早く外して乗りたいという気持ちになりました。
補助輪を外してもらい、近所の公園で乗る練習をしました。
私はじいちゃんっ子だった為、祖父といつも自転車に乗る練習をしていました。
補助輪無しで乗るのはとても難しく中々思うように乗れません。
早くみんなと同じ補助輪なしで乗りたいという気持ちから、毎日頑張って練習していたのを覚えています。
2代目の自転車
私は猛練習のかい甲斐あって、補助輪なしで自転車にのれるようになりました。
しかし、その頃には回りの友達たちはマウンテンバイクというとてつもなくかっこ良い自転車に乗っていたのです。
私は、その自転車を一目見たときからかっこ良いこれが絶対にほしいと思いました。
でも自分が乗っている自転車はまだ乗れるので、新しい自転車を買ってもらうのは難しいだろうなと子供ながらに感じていました。
そんな時、3つ離れている私の兄が何とマウンテンバイクを買ってもらったのです。
兄もずっとマウンテンバイクがほしかったらしく、親に頼んで買ってもらっていました。
私はとても羨ましく思い、自分も早く欲しいという気持ちがますます強くなりました。
そして、それから2.3年がたち私はマウンテンバイクをゲットすることができるのです。
兄のおさがり
私は補助輪なしで自転車に乗れるようになってからも、ずっと今までの自転車で我慢してきました。
しかし、友達と遊ぶ時みんなマウンテンバイクに乗って来る為、一時期は自転車にすら乗らない時もありました。
なんだか今の自転車に乗っている事が恥ずかしいと思う気持ちが芽生えたのです。
そして兄のマウンテンバイク、当時の私の頭にはマウンテンバイクが欲しいという事で一杯でした。
そしてそれから2.3年がたった時、兄が小学校を卒業するタイミングで中学校へ通う学校指定の自転車を購入する事になりました。
その為今まで兄が使っていたマウンテンバイクを私が使えることになったのです。
兄のおさがりとはいえ、かっこ良いマウンテンバイクにとてもウキウキしました。
明日から自分もこれに乗れると思うととても嬉しかったのを覚えています。
今まで私が乗っていた自転車は本当に普通の自転車でした。
しかし、このマウンテンバイクにはなんとギアチェンジが付いているのです。
私のギアチェンジへの憧れはとても強く、早く自分もカチカチとギアチェンジして自転車に乗ってみたいとずっと思っていました。
初めてマウンテンバイクに乗り、ギアチェンジをした時私はものすごく感動しました。
こんなに自転車を軽くこげるのか、これなら坂道も簡単に勧めると改めてマウンテンバイクのすごさを実感しワクワクしました。
そして何と言っても自転車の大きさが今まで使っていた物と違いました。
タイヤも本体も大きい為、なんだか少しお兄さんになれた気分がして優越感に浸っていました。
これでやっと友達の前で堂々と自転車に乗れると思い、早速友達と遊ぶ時マウンテンバイクに乗って会いに行きました。
同級生の子たちからは、そのマウンテンバイクかっこいいねと言われ私の嬉しさは最高潮になっていました。
それから小学校を卒業するまで私は兄からもらったマウンテンバイクを乗り続けました。
中学生になり3代目の自転車へ
私は小学校を卒業し、中学校へ通う為に必要な学校指定の自転車を購入してもらいました。
兄が使っていた自転車もあったのですが、3年間乗りボロボロになっていたため新しい自転車を買ってもらえました。
私にとっては初めての新品の自転車でした。
初代の自転車もマウンテンバイクも兄のおさがりだった為、自分専用の自転車を、カタログを見ながら選んでいるときはなんとも言えない嬉しさがこみ上げてくるような気持ちでした。
そして新しい自転車が我が家に到着しました。
はじめて実物を見た時、とても大きい自転車だなと思いました。
マウンテンバイクのときも感じましたが、それよりもはるかに大きい自転車に興奮し、大人が乗る様な自転車にこれで自分も大人に近づけたと思いました。
この自転車は3段階のギアチェンジが付いていました。
マウンテンバイクの時は、7段階のギアチェンジが付いていた為3段階しかないのかと少し残念に思いました。
しかし、この自転車には鍵で自転車をロック出来る昨日がついており私のテンションはとてもあがりました。
鍵穴に差し込み、自転車をロックし遠くからでも小型の専用機械をピッと押すと解除して乗る事が出来ます。
その解除されるときのガシャンという音がなんだかたまらなくかっこ良く聞こえ、よく無駄にロックしては解除ばかりしていました。
そして解除される瞬間、小型の専用機械が少し赤く光るのがまたとてもかっこよかったのを覚えています。
私はその自転車に乗り、中学校まで三年間毎日通いました。
自転車をいじくりまわす
中学2年生頃になった時、正規品の自転車をいじる人たちが沢山でてきました。
一年生の頃は、先輩が居たので自転車をいじっていると偉そうに思われると思いみなしていませんでした。
しかし2年になった頃から、みんな我慢出来ず自転車をいじり始めました。
何をしたかというと、まず自転車の横に付いている学生鞄を入れる大きなかごを取り外しました。
当時は学生鞄をできるだけ薄くするという行為が流行っており、自転車のまえにもかごが付いていた為、横に付いているこの大きなかごは邪魔になるだけだと思いました。
むしろダサかったので、早く取り外してしまいたいと思っていました。
先輩達が外しているのを見て、かっこいいなと思っていた記憶があります。
そして他に何をしたかと言いますと、前に付いている大きなかごをわざとへこませたりチェーンを錆び付かせてみたり、少し傷をつけて音が出るようにしたりしていました。
新品の自転車より何年も使い込んだ雰囲気のある自転車の方がかっこ良いと思うようになったのがきっかけでした。
親に大激怒される
私は自転車をいじくりまわしすぎて、予想以上にガタがきてしまいました。
それでも自分的にはとても満足でなんだかかっこいいみんなとは違うものに乗っているという優越感に浸っていました。
しかし、自転車に乗るとギコギコと変な音がし始め、ブレーキを踏むときもキーと甲高い音が鳴るようになりこれはまずいぞと思い始めました。
そして数ヶ月経った時、自転車が完全に壊れて乗れなくなってしまったのです。
それを知った親が大激怒し、次の自転車はないぞ、明日から歩いて行けと言われました。
しかし、学校までは片道10キロもあった為とても歩いて行く事はできず結局バスで通学することになりました。
バスは女子が通学する為に使っていたので、すごく恥ずかしかった記憶があります。
中学生になり、体も大きくなった為マウンテンバイクもサイズが合わず乗る事が出来ないため、そこから暫く間私は自転車に乗りませんでした。
4代目の自転車購入が近づく
私は中学を卒業し、高校へと進学しました。
高校では自転車で通えない距離だった為、バス通学になりました。
その為、高校3年間は一回も自転車に乗る機会がありませんでした。
そして高校を卒業し、専門学校へ進学する事になり、私は4代目の自転車を購入する事になるのです。
ママチャリを買ってしまった
高校卒業が間近になっていた時、私はよく次の自転車はどんなものにしようかとネットで色々と調べていました。
色やデザインなど、自分の好みの自転車のイメージを膨らませていました。
そして学校を卒業し、一人暮らしを始めました。
すぐに自転車屋さんに行ったのですが、ネットで見た様なかっこ良い自転車は置いてあったものの値段がとても高く自分のお小遣いだけではとても買えないなとその日は断念しました。
そして他に思いつく方法が無かったため、私は仕方なく親に相談しました。
私は中学の時、新品で買ってもらった高い自転車を壊した事があるためとても言いいいづずらかったし、親からも自転車買ってもまた壊してしまうと思われていました。
しかし必死にお願いすると、自転車を一緒に見に行ってあげると言ってくれました。
これでなんとかなると思い、早速一緒に自転車を見に行きました。
色々見ていたのですが、自分の欲しかった自転車は高額だったため、中々勧める事ができず、そうこうしているうちに親がどれも高いなと言い始めました。
この状況はまずい、何とかせねばと思ったのですが、時既に遅しでした。
親はどれも高いから他のとこに行こうといい始め、私は心の中で、待ってくれここに私の欲しい自転車があるのんだ、もう壊さないからと叫び続けていました。
しかしそんな心の声は届く訳もなく、車に乗りしぶしぶよくわからないスーパーの横にある自転車売り場へと連れて行かれました。
私は、まさかここで買うのんじゃないだろうな?
ととても不安になりました。
一通り見渡すと高い自転車は数台しか無く、ほぼママチャリでした。
さすがにこれには乗れない、私のプライドがゆるさないと思っていました。
早く次のとこに行こうと、親を促すと、中々良心的な価格でいいじゃないかと言い始めました。
私は、何をいっているのんだ。この自転車に乗れというのか?
と思いました。
最悪な状況に向かっているのを肌で感じつつも、もうどうする事もできませんでした。
そして親がこれなんかどうだ?
と進めてきた自転車が完全にママチャリで、私は返す言葉が見つかりませんでした。
頭の中で必死にこの状況をなんとかせねばと考え、親からの問いに適当に相づちをうっていると、いつの間にかママチャリを買う事に決まっていました。
私は必死に抵抗しました。
返事してないというと、これでいいか?
と聞くとうんうんとうなずづいていたといっていました。
私は必死に考えるあまりに適当にうなずづいて居たのです。
しかし、取り返しも付かず、そんなに嫌なら自分で買いなさい、それに自転車を壊しておいて偉そうに言える立場か説教までくらいました。
私はただただ絶望し、夢にまで見たオシャレでかっこいい自転車は、白のママチャリへと変わっていったのです。
私は現実を受け入れ、何とか少しでもこの状況を良くしようと、買ってもらったママチャリを速攻でカスタムしました。
まず、白がとてもださかったため、ペンキを買ってきて黒く塗りました。
そして前に付いている大きなかごも取り外しました。
これで少しはましになったと思い、半年程乗っていました。
今まではギアチェンジがついた自転車だったため、とても乗りやすかったのですが、ママチャリにはギアチェンジがついていません。
そのためですので、足腰がとてもしんどく、大変です。
しかし、体は鍛えられます、足腰を鍛えたい方にはママチャリはおすすめです。
私もかなり鍛える事ができました。
ママチャリを半年近く乗った時、ペンキも大分剥がれてきてなんだか見窄らしい自転車になっていました。
私は客観的に見ても、この自転車はダサいこんな自転車には乗れないと思いました。
何か良い方法は無いかなと思っていた時、私の友達が私の自転車を見てその自転車中々いいねと言ってくれました。
私はその発言にとても驚き、世の中変わった人もいるものだなと思いました。
そして、もう乗らないから買う?
と言ってみると、二つ返事で買ってくれました。
私は、その資金を元になんとかかっこ良い自転車を購入したいと考えました。
そして祖母へ自転車の話をすると、そこまで欲しいなら買ってあげるといってくれ親に内緒で買ってもらう事ができました。
私はママチャリを買ってもらった後も、密かに自分のほしい自転車をネットで探していました。
自分の欲しい念願の自転車を手に入れる事ができ、私はとても嬉しく、自分の少ない自転車で祖父を食事に招待してお礼を言いました。
今となってはママチャリに乗っていたのもいい思い出です。
まとめ
私は人生で5台の自転車に乗りました。
どれも思い出がありよい自転車だったのですがその中でもママチャリを購入し乗っているときはとても記憶に残っています。
自分が欲しかった物とはまるで正反対の自転車だったが故に、その記憶は私の頭に今でもしっかり残っています。
しかし、ママチャリのおかげで自転車を大切に乗る事や、欲しい物の為に努力し考える事、そして信用の大事さを学べました。
ママチャリは乗るのがとても大変でしたが、足腰も鍛えられ、今となってはいい思いでの一つです。