200万年前から共存してきた?まくらと人類の密接な歴史

まくら

[両面使用/汗取り機能] 高反発まくら 【フラット NAピロー 650 】 高さ7cm (ホワイト) 日本製

現在私たちが日常的に使っているまくら。

就寝時に毎日使われるものだが、約200万年前~400万年前頃には既に使われていたことが確認されている。

一重にまくらと言っても、時代によって使われる意図や形体が様々と変わっていることも興味深い。

人類が誕生してから現在に至るまで、まくらがどのように変遷していったのかを紐解いていくことにしよう。



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世界におけるまくらの歴史初出~古代

人類初のまくらは石

人類の歴史で初めてまくらの使用が確認されたのは、約200万年前~400万年前のことである。

場所は現在でいうと南アフリカに当たる地域だ。

この頃は人類の祖先とも言われているアウストラロピテクスの時代で、まだ知的な文明は形成されていなかった。

そんなはるか昔の時代に、頭の下に石を敷いていた痕跡が発見されたのである。

この石には人為的に砕かれた形跡があった為、まくらとして使われていたのだと考えられている。

いくら全身が毛に覆われていた猿人とはいえ、鋭く尖った石では流石に頭が痛くなったのだろう。

人類はこんなに昔から寝心地に拘っていたのかと想像が膨らみ、なんとも面白い限りである。

古代エジプトではツタンカーメンの墓から発見

時代が一気に飛んで、今から約5000年前~2300年前の古代エジプト時代。

知らない人はいないであろうこの時代の王、ツタンカーメンの墓からまくらが発見されている。

陶器(磁器)製やガラス製のものから、なんと象牙製のものまで見つかっている。

肝心な首や頭を支える部分は滑らかなU字型をしており、違和感なく頭を乗せられるように作られている。

こういった加工の進歩を見ても、当時からまくらがどれだけ重要だったのかを伺い知ることができる。

中国では北宋~元の時代に陶枕が隆盛を極める

古代中国でも御多分に漏れず石や木などが使われていたが、ある時代から独自の発展を遂げる。

今から約1400年前の隋の時代からは、陶器(磁器)製のまくらである陶枕(とうちん)が数多く見つかっている。

ただ数が多いだけではなく、優美かつ複雑な加工が施されたものばかりなのである。

動物を模した装飾が施されているものも多く、その中でも虎を模したものは魔除けとして用いられることもあった。

これは当時の加工技術が優れていたことを示すものでもあり、工芸品としても重宝されていたと言われている。

実際に、後のヨーロッパや日本でもその時代に中国から伝わった陶枕が見つかっているのである。



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世界におけるまくらの歴史中世~現代

ヨーロッパでは中世からあまり変化なし

ヨーロッパでは、現在でも使われているまくらが中世の頃から大きく変わってはいないことが知られている。

これは元々アラブ地方のもので、織物に動物の毛などを詰めてクッションとして使用していた。

当時そこに遠征をしてきたヨーロッパ軍へと伝わり、後にまくらとしても使用されるようになったのである。

この文化が今でもほぼそのまま残っており、素材として動物の毛(羽毛)などの柔らかく保温性のあるものが多く使われている。

アジア各国にも独自のまくらが

フィリピンでは高温多湿に悩まされる地域の為か、保温されず通気性の良いものが素材として使われている。

主に竹や籐を編み込んで作られたまくらが使用されているようだ。

さらに、同じ素材で細長く作られた1メートルほどはある抱き枕を使用していることも知られている。

元々は中国で作られていたものが伝わり、それが風土的にもピッタリだったことから広く普及していったのだという。

タイでは三角柱の形をした三角枕という、少し変わったまくらが使われている。

三角柱を横に倒した形で使われるこのまくらの中には、この土地で栽培されているカポック綿が詰められている。

初見では分かりづらいが、これを床に置いてもたれかかると、丁度ソファーにもたれた時と同じ様な体勢をとることができる。

まくらというよりはボリュームのあるクッションと言ったほうが分かりやすいかもしれない。

日本におけるまくらの歴史縄文時代~江戸時代

古代エジプトよりも古い日本初のまくら

我々の住む日本では、縄文時代の遺跡から木製のまくらが見つかっている。

縄文時代と言うと、今から約15000年前~3000年前頃のことでである。

これは古代エジプト文明よりさらに古い時代であり、まくらに関しては日本の歴史のほうが古いと言える。

縄文時代の中でもどの時期に見つかったかは分かっていない為断定はできないが、その可能性は高そうだ。

奈良時代には一般大衆にも広く使われるように

少し時代が進み、奈良時代には現存する最古の和歌集である万葉集にまくらの記述が出てきている。

万葉集とは、限られた身分のものではなく、全国各地から性別や身分を問わず集められた和歌集である。

これにまくらが登場していることを考えると、この頃には一般大衆が日常的にまくらを使用していたことが読み取れる。

石や木で作られたまくらも登場しているが、割合としては草で作られたものが多かったことが伝わっている。

それから約500年後の室町時代には、くくり枕と呼ばれる新しいタイプのまくらも登場していたようだ。

これは薄い布袋の中にそば殻やもみ殻などを入れ、両端を縛ったもののことを指す。

日本でのまくら隆盛は江戸時代

江戸時代に入ると、太平の世になったことから一般大衆は多様な髪型を楽しむようになる。

男性の丁髷(ちょんまげ)をはじめ、なんと女性は300種類もの髪型が存在したと言われている。

そんな時流もあり、髪型が崩れないよう直接頭は乗せず首を支える為だけのもの。

なおかつ髪が床に着かないように背が高めのものが一般的に使われていたことが知られている。

主流だったのは箱形や船底型をしたまくらである箱枕。

その他にも、商人が持ち運びやすいように加工した折り畳み枕や、中国から伝わった陶枕。

箱の中に旅道具を収納できるよう、からくり仕掛けを施したまくらなども存在したと言われている。

箱枕はそのまま首を乗せると硬くて痛い為、上にくくり枕を乗せて使われることもあった。

江戸時代末期である幕末の頃になると、鎖国が解かれて少しずつ西洋の文化が入ってきたことによる影響が出てくる。

華やかで大きく見せるものが主流だった女性の髪型も、小さめのものに流行が変わっていったのだ。

男性では散切り頭や坊主にする人が増えたこともあり、まくらの高さが低くなり始めた時期でもある。

日本におけるまくらの歴史明治~現在

明治以降は背の低い現在の形へ

明治初期には断髪令(正式には散髪脱刀令)が出され、国から自由な髪型にして良いと布告された。

男性の中には自ら選んで丁髷にし続ける者もいたが、多くは髷を結わなくなったのがこの時期からである。

そうなると就寝時に髪型を維持する必要がない為、寝心地を重視する人が多くなってきたのだ。

江戸時代とは違い、くくり枕を床にそのまま置いて使うという、昔ながらの方法で再び使われ始めることとなった。

髷を剃って髪を坊主にする人が増えたことで再び使われ始めたことから、くくり枕は坊主枕とも呼ばれるようになった。

女性はというと、まだこの頃は江戸時代の名残を残した髪型にしている人も多かった為、男性に比べて箱枕を使う人も少なからずいた。

とは言え、時代が進むにつれ徐々に寝心地を優先する人が増え、結局箱枕の使用率は減っていったのである。

戦後は現在主流の平枕へ

第二次世界大戦後は、以前にも増して欧米各国から様々な日用品がもたらされ始めた。

現在我々が使用している平枕もその中の一つであり、近代化された文明においては地域を問わずこの平枕を用いる割合が多い。

今では、最新技術によって作られた高反発や低反発の素材を使用したまくらが数多く登場してきている。

オーダーメイドによって、各々に最適な形や弾力のまくらを作れる時代にもなっている。

そんな中、中国から伝わった陶枕や、竹などを素材とした編み込み枕を使用する人がいることも事実だ。

陶枕や編み込み枕は暑さをしのぐことを目的として作られたもので、当たり前だが電気代などがかかるわけでもない。

それを踏まえて考え直してみると、エコを求められる我々現代人にとってはおすすめアイテムの一つと言えるのではないだろうか。

意外にもこういった昔からあるものを使うことによって、環境問題も緩和されていくのかもしれない。

まとめ

その時代の状況や風習、それぞれの風土によって、多種多様なまくらが存在していたことがお分かりになったかと思う。

まくらの歴史を紐解いていく過程で、当時の生活スタイルがどんなものだったのかと想像することは決して難しいことではなかった。

いつの時代でも睡眠はなくてはならないものであり、そこには常にまくらという存在が隣り合っていた。

それほどまくらは人類にとって欠かせないものであり、読んで字のごとく共存してきたのだ。

目先の新しいものばかりを追いかけてしまいがちな今の時代。

そればかりに没頭せず、歴史を知り、過去の知恵や工夫をうまく取り入れることが必要なのだと改めて感じた。

我々の身近に存在しているまくら。

これを今以上に見直すことによって、生活と環境双方が豊かであり続ける生活に繋がっていくのではないだろうか。






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