アメリカの宝・バーボンを守る!「ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーション」とは!

バーボン

ワイルドターキー13年 ディスティラーズリザーブ

バーボンと言えばアメリカを代表するアメリカン・ウイスキー。

合衆国内どこででも生産は可能ですが、大手蒸留所のほとんどはケンタッキー州にあります。

それはこの地域がバーボン発祥の地であり、バーボンにとって大切な歴史を持っているから。

ケンタッキーとバーボンは切っても切れない関係なのです。

そんなケンタッキーにはバーボンを守るための「ケンタッキー・ディスティラーズ・・アソシエーション(Kentucky Distillers 'Association)」があります。

会員には有名な蒸留所がずらりと並んでいます。

どんな組織なのか見てみたいと思います。



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ケンタッキーとバーボンの歴史とは…?

バーボンと言えばアメリカ建国以来愛されてきた、国民酒ともいえるお酒です。

アメリカで蒸留酒の生産が行われたのは、ヨーロッパからの入植がはじまった1700年代頃からです。

地理的に恵まれていなかった入植者たちは、せっかく生産した穀物を市場に並べるのに苦労しました。

市場までの道は狭く、険しく危険だったからです。

やがて彼らは生産した穀物をウイスキーに変えることを思いつきます。

こうすることで運搬が簡単になり、穀物を腐らせてしまうことがなくなりました。

やがて農家の人々はオハイオ州とミシシッピ川を下り、はるばるニューオリンズまでウイスキーを出荷するようになりました。

この長旅の間に樽のウイスキーは琥珀色へと変わり、オーク材がウイスキーに独特の香りと味わいをもたらしたのです。

これがバーボンの始まりと言われています。

バーボンの樽の内側を焦がすのはなぜ?

現在アメリカにはバーボンを作る際の法律が制定されています。

その中でも他のウイスキーと一線を画すのは「新品のオーク樽を炭化被膜処理して熟成に使用する」という点です。

つまり、バーボンを熟成させる際は樽の内側を焦がしてから使用しなければなりません。

この工程が見られるのはバーボンだけです。

この工程こそがバーボン特有の味わいを決めているということができます。

ではなぜバーボンの熟成のための樽は焦げていなければならないのでしょうか。

これは諸説あり、はっきりとはわかっていません。

バーボンを最初に造ったといわれる「エライジャ・クレイグ」牧師がたまたまウイスキー樽を保管していた納屋が火事になり、樽が焼け焦げてしまったという説やウイスキーを入れて運ぶための樽が魚くさかったので、匂いを消し、消毒の意味合いを込めて焼き焦がしたという説があります。

どちらかというと後者の方がもっともらしい気がしますが、はっきりとした理由はわかっていません。



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バーボンという名前もケンタッキー由来?

日本語で「バーボン」と言っても全くピンときませんが、「bourbon」と書くとおやっと思う方もいるのではないでしょうか。

「バーボン」はフランスの「ブルボン王家」に由来しています。

「ブルボン」の英語読みが「バーボン」なのですね。

ではなぜフランス王家の名前がアメリカン・ウイスキーにつけられているのかといいますと、ケンタッキー郡の一部に「バーボン郡」というのが存在したためです。

これは独立戦争時、アメリカを支援してくれたフランスに対する感謝の意味を込めてつけられた名前です。

このバーボン郡から出荷されたウイスキーが美味しいと評判を呼び、いつしか「バーボン」という名前がお酒そのものを指すようになったのです。

バーボンの始まりはケンタッキー州の一部。

そんな思いがケンタッキーの人々の中にはあるのです。

バーボン保護のために設立!ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーション

ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーションは1880年にケンタッキー州ルイビルにて設立されました。

当時の不要で閉塞性の高い法律から蒸留所の権利を守ることが目的です。

設立当時には32の蒸留所が集まりました。

彼らはウイスキー税を減らし、保険料を削減し、その他の不要な措置に取り組むために何年も戦いました。

しかし禁酒法時代が到来し、組織は一旦閉鎖されてしまいます。

その後再結成されたのは1935年のことです。

禁酒法時代によって閉鎖に追い込まれた組織でしたが、今度は禁酒法を終わらせるためにメンバーが立ち上がったのです。

蒸留所グループを代表して「ブラウンフォルマン」、「ナショナル」、「グレンムーア」、「フランクフォート」、「メドレー」らの蒸留所が一致団結して戦いました。

その結果1935年11月にケンタッキー州における禁酒法は廃止されます。

廃止に尽力したメンバーをコアに、27の蒸留所があつまって「ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーション」は1936年に再結成しました。

そしてそれ以来「ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーション」はバーボンと蒸留酒のために声を上げ続けてきました。

バーボンをケンタッキー州だけではなく連邦の主要なグローバルな輸出品として押し上げたのです。

そして1999年、「ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーション」は「ケンタッキー・バーボントレイル・ツアー」を打ち出しました。

このツアーはケンタッキー州内で最も有名な観光スポットとして急成長を遂げています。

過去5年間だけでアメリカ国内50州から以外にも50カ国以上から観光客が押し寄せ、その数は250万人にも上ります。

バーボンファンにはおすすめのツアーなのです。

組織には、創設以来多くの変化が訪れました。

しかしこの由緒ある組織は常にバーボンと蒸留酒業界の利益を保護し、みなで協調して問題に取り組み、解決していくという姿勢は変わっていません。

彼らにとってバーボンはケンタッキーの職人技と伝統を象徴するもの。

彼らのバーボンに誇りを持ち、大切に守っているのです。

ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーションのメンバーとは!

バーボンと蒸留所を保護するために作られたケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーション。

古くからの伝統を持ち、今日もバーボンの普及と保護のための活動を行っています。

そんなメンバーには有名蒸留所がずらりと並んでいます。

特に組織のトップともいえる理事会に属しているのは超がつくほど有名な蒸留所です。

フォアローゼス

組織の会長を務めるのはフォアローゼスの「ライアン・アシュレイ」氏。

フォアローゼスは禁酒法時代も「薬用」としてバーボンの生産を続けていた稀有な事業所です。

フォアローゼスのバーボンはジム・ビームに続く、世界で2番目に良く売れるバーボンの一つと言われています。

ビームサントリー

副会長を務めるのはビームサントリーの「ロブ・サミュエル」氏。

ビームサントリーは「ジム・ビーム」や「メーカーズマーク」といった有名なバーボンを生産しています。

本拠地はイリノイ州にあり、ケンタッキー州ではありません。

ワイルドターキー

管理・財務を担当するのは「ワイルドターキー」の「リック・ロビンソン」氏。

ワイルドターキー蒸留所は1869年に設立された「リピー蒸留所」を起源としています。

ケンタッキー州ローレンスバーグで本格的なバーボンを生産しています。

バーボンボトルのラベルに描かれている七面鳥がトレードマークです。

ブラウンフォーマン

ディレクターには「ブラウンフォーマン」の「キャンベル・ブラウン」氏。

ブラウンフォーマン社はアメリカでも最大のスピリッツとワイン事業を展開している会社です。

ジャックダニエルやウッドフォードリザーブといった有名ブランドを所持しています。

設立は1870年。

ケンタッキー州ルイビルにて始まりました。

現在も世界中に輸出を行っています。

まとめ

バーボン保護のため様々な活動を行っている「ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーション」。

理事会のメンバーだけでもそうそうたる顔ぶれです。

その他にはアメリカ最大の飲料メーカー「ディアジオ」や「ウィレット」、「ヘブンヒル」などの会社に加え小規模のクラフト蒸留所も多く参加しています。

バーボンを深く知りたいと思ったら、組織が主催する「ケンタッキー・バーボン・トレイル」ツアーがおすすめ。

バーボンの過去と現在を知ることが出来る上、蒸留所の試飲やお土産ももらえますよ。

ご旅行の予定がある方は是非候補に加えてみて下さいね。

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