ウイスキー「竹鶴」の魅力とは?ニッカウヰスキー「竹鶴」が登場した頃の商品1つと、現行の竹鶴1つを紹介

ウイスキー

竹鶴ピュアモルト 700ml

NHKの朝の連ドラで、マッサンのモデルとして広く知られることになった竹鶴政孝。

その竹鶴政孝の名前を冠したウイスキー「竹鶴」もすっかりお馴染みとなりました。

「竹鶴」という名前がつくからには、竹鶴政孝が相当な思い入れをして作ったウイスキーのような感じを受けるのですが、実は竹鶴政孝が作ったウイスキーではないのです。

意外な感じがしませんか。

そんな「竹鶴」が世に出るまでのお話を紹介したいと思います。



私が絶対おすすめするウイスキーランキングベスト10はこちら

ピュアモルトウイスキー 竹鶴

「竹鶴(たけつる)」は、ニッカウヰスキーが製造し、アサヒビールが販売するウイスキーです。

一部の商品を除いては、ピュアモルトウイスキーとして展開されています。

ピュアモルトウイスキーというのは、モルトだけを使って作られたウイスキーを指します。

「モルト」とは、大麦の麦芽を指しますので、ピュアモルトウイスキーは、つまり大麦麦芽だけで作られたウイスキーを指すのですね。

ブレンデッドウイスキーのように飲みやすいピュアモルトウイスキーを作りたい。

という構想があり、開発が進められて誕生した商品だそうです。



私が絶対おすすめするウイスキーランキングベスト10はこちら

初の竹鶴ピュアモルト

2000年に「竹鶴12年ピュアモルト」という名前で発売されたのが最初の竹鶴です。

その後、様々なラインナップが登場し、国際的なウイスキー品評会などにおいても、評価されることの多いウイスキーで、今やニッカウヰスキーが誇る商品になっています。

竹鶴政孝

ニッカウヰスキーの創業者であり、NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった竹鶴政孝は、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)の出身です。

ウイスキー製造者であり、技術者でもありました。

ニッカウヰスキーの創業者であることはもちろん、サントリーウイスキーの創始者とも呼ぶべき人物です。

これらの業績から「日本のウイスキーの父」とも呼ばれています。

竹鶴政孝、スコットランドへ。

竹鶴政孝は、1918年12月にスコットランドに渡り、翌年にはスペイサイドのロングモーン蒸溜所でモルトウイスキー製造の実習をしました。

その後、ボーネスにあるジェームス・カルダー社工場でグレーンウイスキーの製造実習を行いました。

そして、1920年の中頃になると、キャンベルタウンにあるヘーゼルバーン蒸溜所にて再度、モルトウイスキーの製造実習とブレンド技術の習得に励んだのです。

竹鶴ノート

その際に学んだウイスキー製造工程のすべてをメモに残し、宿に戻ってから自らの意見を書き添えて残したものが、いわゆる「竹鶴ノート」と呼ばれる実習報告の記録です。

これが、のちにイギリスのヒューム外相が来日した際に、首相に「日本の一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった」という意味の発言をさせたと言わしめたノートです。

鳥井信治郎

竹鶴政孝は日本に戻った後の1929年、鳥井信治郎に誘われて、現在のサントリーである「寿屋」の山崎蒸溜所初代所長として、日本初の本格スコッチウイスキーを作るべく、その製造の指揮をとりました。

鳥井 信治郎(とりい しんじろう)は、日本の実業家であり、サントリー(現サントリーホールディングス株式会社)の創業者です。

しかし、その後、鳥井信治郎との商品に対する考え方や方向性の違いから、竹鶴政孝は、より本格的なスコッチの製造を目指して現在のニッカウヰスキーである大日本果汁を興すことになるのです。

このように、あくまでも品質にこだわり続けた技術者として知られる竹鶴政孝ですが、生前の酒量はウイスキーを1日に1本(晩年になってからは3日で2本に減らしたそうですが)飲んでいたというのですから驚きです。

晩酌にはニッカウヰスキーの二級ウイスキーであったハイニッカを好んだそうです。

ちなみに、醤油味の薄焼き煎餅をおつまみとすることが多かったとのこと。

本当にウイスキーを心から愛していたのですね。

竹鶴酒造

竹鶴政孝の生家は、「竹鶴酒造」という造り酒屋でした。

この竹鶴酒造は、今でも竹鶴酒造株式会社という名称で続いていますが、こちらは竹鶴家の本家ということになり、政孝は分家筋にあたるそうです。

竹鶴ピュアモルトの製作、販売にあたっては、12年物のモルトを使用することが決定され、商品のネーミングを創業者の竹鶴政孝の苗字をとって「竹鶴12年ピュアモルト」と名付けられました。

2000年のことです。

なお、竹鶴ピュアモルトの命名については、竹鶴酒造に商標を使用して良いかどうかについて問い合わせたところ、洋酒であるこということで、すぐに了承されたという逸話があります。

(竹鶴12年ピュアモルトの価格

また、この初めての竹鶴ピュアモルトの価格ですが、ライバルであるサントリーから発売されていたピュアモルトウイスキーである「山崎」が、発売当初6,000円という定価であったのに対し、「竹鶴12年ピュアモルト」は、2,450円という破格の安さで販売されました。

そんなことも幸いしてか、売れ行きは好調であったようです。

この時はあえて商品そのものを前面に出すことよりも、竹鶴政孝という人物の歴史を中心にした販売作戦を展開したことが話題となりました。

そして、翌年の2001年には「竹鶴17年ピュアモルト」が発売されました。

その後更に、「竹鶴21年ピュアモルト」「竹鶴25年ピュアモルト」が発表されていきます。

こうして、時代の経過の中で人気となったピュアモルトウイスキーである竹鶴は、日本を代表する高級ピュアモルトウイスキーとして国際的にも高く評価されています。

竹鶴ピュアモルト

2013年になると、新たに「竹鶴ピュアモルト」が発売されました。

これは、ノンエイジのピュアモルトウイスキーです。

代わりに「竹鶴12年」が2014年3月をもって、残念ながら発売終了となってしまいました。

このノンエイジの「竹鶴ピュアモルト」は、モルトの深いコクと味わい、そして、やわらかな飲みやすさと華やかな香りが特徴で、一見相反するように思える魅力を、ふたつ、みっつと併せ持っています。

それを実現したのは、個性豊かである上質なモルトの原酒たちと、竹鶴政孝の後を受け継ぐブレンダーたちに託された技術です。

ノンエイジでありながら、バランスのとれた香りと味わいの竹鶴ピュアモルトは、ウイスキー初心者の方、またはウイスキーは好きだけれど竹鶴は初めて、という方におすすめのウイスキーです。

竹鶴の現在のラインナップ

現行の竹鶴のラインナップは次のようになっています。

●竹鶴ピュアモルト ・竹鶴17年ピュアモルト ・竹鶴21年ピュアモルト ・竹鶴25年ピュアモルト このように、竹鶴のラインナップを並べて見てみると、他のウイスキーと比較して少ないと思われるかもしれませんが、どれもこれも魅力的なウイスキーであることは間違いありません。

そして竹鶴12年と同じように、今存在している竹鶴のエイジングウイスキーもいずれ販売終了になってしまうかもしれません。

もし、飲んでみたいと思われるのなら早目の入手をおすすめします。

今ではスーパー、デパート等で見かけることが多くなった「竹鶴」ですが、一見すると、創業者の苗字が使用されるだけあって、長い歴史を持っているように感じます。

ところが、このように歴史を見てみると、実際のところ竹鶴と言う名のウイスキーが誕生したのは2000年のことです。

つまり誕生してからまだ20年も経っていない新顔のウイスキーと言えるのです。

まとめ

さて、竹鶴政孝の半生と、ニッカウヰスキー「竹鶴」が出来上がるまでのお話を紹介してきました。

「竹鶴」は、意外にも竹鶴政孝が作ったウイスキーではないということがわかりました。

けれど、本格的なスコッチウイスキーをひたすら作ろうとしていたマッサンの魂が、職人さんたちに脈々と受け継がれたからこそできたウイスキーだということがよくわかります。

そんなマッサンの心意気を感じながら、「竹鶴」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

ウイスキー