ウイスキーが作られ世界に広がるまでの歴史と出来事とは?

ウイスキー

ウイスキーを飲まれるときにはどんなことを考えながら飲むでしょうか。

もちろん味が好きだったり香りを気に入ったりして飲む方も沢山います。

もちろんそれも良いのですが、ここでウイスキーの歴史がわかっていると、またひと味違う味わいを感じることができます。

ウイスキーには歴史があります。

そして世界中に広がりました。

そんなことを考えながら飲む一杯は深い味わいの調味料となるでしょう。

ではウイスキーができてここまで広がるまでの歴史をあげていきます。



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ウイスキーの元となったお酒

今みんなが飲まれているウイスキーは最初から今の形をしていたわけではありません。

色んな歴史や偶然があるなかで現在の形になったのです。

では世界にウイスキーが広がる前に、まずウイスキーの元となったお酒とはなんだったのでしょう。

最初はブランデーだった

ウイスキーができるまでの歴史をひもといていくと意外なことが解ります。

まず、最初にウイスキーの元となったお酒はブランデーだったということです。

ブドウ酒を蒸留したもの、これが後にウイスキーに発展していくのです。

そのお酒はイタリアの外交官などによりアイルランドやスコットランドで広まりました。

これを元に原料をブドウ以外にも小麦などの穀物で作りはじめました。

しかしそれでもこのお酒は無色透明で、現在のウイスキーとは違うものです。

このままだといわゆるウォッカのようなものですね。

しかも当時は嗜好品ではなく薬として作られていたのです。

この飲み物をラテン語で命の水という意味の「アクアヴィタエ」と呼び、ゲール語では「ウィシュクベーハ」。

この呼び名が後の「ウイスキー」に変わっていくのです。



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世界のウイスキーができるまで

では世界でこの無色透明のお酒がどのようにして今のウイスキーに変化したのか。

ここには様々なストーリーがあります。

まさに偶然の産物と言えるものでした。

酒税法から生まれたスコッチウイスキー

スコットランドはアイルランドから無色透明の蒸留酒が伝わり、自国でも一般的に作られるようになりました。

しかしスコットランドはイングランド王国と結び付きイギリス王国になったことにより、イギリス国王の令でその蒸留酒の税金を大幅に上がったのです。

こうなってしまってはスコットランドの国民も生活が成り立たなくなります。

そこで作った蒸留酒を隠すために樽に入れて山奥へと隠したのです。

これがいわゆる密造時代です。

こうしてたくさんの蒸留酒を作り続けることができました。

そして樽の中で年月を費やした無色透明の蒸留酒は鮮やかな琥珀色となり、芳醇な香りが付いていることに気がついたのです。

これがいわゆる今に残るウイスキーだったのです。

国民たちは密かにこのお酒を飲んでいると同時に、実はこの密造酒は国王の元にも運ばれていました。

実は当時の国王もこのお酒を愛飲していたのです。

しかし、国王たるものが密造酒を飲んでいるというのはいかがなものかと思い、そこから注目されたのがジョージスミス氏でした。

彼は素晴らしいウイスキーを造る者として、彼のウイスキーを国が認めたのです。

こうして生まれたスコッチウイスキーが「グレンリヴェット」であり、この蒸留所は国が公認する第一号の蒸留所となりました。

それからウイスキーの税金もまた大幅に下げるとたくさんの蒸留所と素晴らしいウイスキーが生まれて、スコッチウイスキーは世界に評価されていったのです。

ピート臭が特徴でもあるスコッチウイスキーは、たくさんの方がおすすめしているウイスキーです。

独立戦争から生まれたバーボン

昔のアメリカはイギリスの植民地でした。

その当時にアメリカへ入植した方たちがウイスキーの作り方をアメリカに伝えたと言われています。

その後のアメリカはイギリスからの独立を思い、戦争を起こします。

その時にアメリカを後押ししたのがフランスの王朝でした。

その王朝の家計の名は「BOURBON」といいます。

フランスではブルボンと発しますがアメリカではバーボンと発音しますね。

そのフランスの王朝のおかげもあり、アメリカは見事に独立を果たしました。

その時にフランスの王朝に敬意を表してアメリカはケンタッキー州にバーボン郡という地名をつけて、そこで作られたウイスキーをバーボンウイスキーと呼ぶようになったのです。

そしてバーボンウイスキーと言うと、その製法に樽の中を焦がしてその中で熟成させるというものがあります。

これも偶然の話なのですが、バーボンの父と呼ばれていたエライジャクレイグ牧師の鳥小屋が燃えてしまいました。

そこに置いていたバーボン樽も焼け焦げてしまい、もう飲めなくなったと諦めていました。

しかし実際に口にしてみたら、香りもよく味わいのあるウイスキーになっていたのです。

こうして今のバーボンの製法が生まれたのでした。

ややパンチを求める方にはバーボンウイスキーがおすすめです。

禁酒法から名を馳せたカナディアンウイスキー

上記にあげたバーボンウイスキーの歴史の中には禁酒法があります。

嗜好品のために穀物を使うとはいかがなものかという考えのもと、定められた法です。

そうなってしまってはお酒を作っても意味がありません。

いくつもの蒸留所が閉鎖してしまいました。

そこに目をつけたのがカナディアンウイスキーです。

名声を上げつつあったバーボンウイスキーが作られないすきに出てきたのです。

そして世界でも出回るようになりました。

アメリカの禁酒法はすぐに解かれましたが、すでにその頃にはカナディアンウイスキーは十分な名声をあげています。

カナディアンウイスキーは五大ウイスキーの中でも軽さのある仕上がりです。

初心者にはおすすめです。

日本でウイスキーが発展するまで

今では日本のウイスキーも世界に評されるくらいの実力を持っています。

では日本でのウイスキー作りのきっかけとは何だったのでしょうか。

最初にウイスキーが日本に来たのは19世紀の江戸時代の頃です。

アメリカのペリー氏が伝えてきたと言われています。

その後もウイスキーは海外からの輸入に頼っていましたが、同時に酒精アルコールも輸入して模造のウイスキーも作られていたのです。

しかし明治時代でもその味は受け入れられず、なかなか売れるものではありませんでした。

そのうちにアメリカの酒精アルコールに高い税金が課せられるようになり、その時から日本でも本格的にウイスキー作りをしようと動き始めたのです。

現サントリーの鳥居信二郎氏、ニッカウイスキーの竹鶴政孝氏の情熱の結果、ついに日本でも本格的なウイスキーが作られるようになりました。

第二次世界大戦後には欧米文化も国民に馴染み初めて、ウイスキーも需要が高まってきたのです。

こうして日本でもウイスキーが一般的となってきたのです。

また他の国でも作られて

現在では五大ウイスキーとして、スコットランド、アイリッシュ、バーボン、カナディアン、ジャパニーズとされていますが、まだ他の国でも作られています。

最近では台湾ウイスキーも注目されてきました。

今後も色んなウイスキーの歴史が増えていくのではないでしょうか。

ウイスキー先進国がまた他の国に可能性を求めて広がっていくと、また面白くなりますね。

まとめ

ウイスキーが完成されたのは偶然なことであり、奇跡とも言える産物です。

その背景には戦争や法律までもが絡んでいたのですね。

そんな長い年月の中で起こっている状況の中から生まれたウイスキーというお酒。

それを知ることにより、ただ美味しいという嗜好にひと味足されます。

今ちょっと飲んでいるこの一杯に深みを感じてください。

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