力強く偉大なバーボン、ノブ・クリークとリンカーン大統領

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リンカーン

バーボンといえば有名な「ジム・ビーム」がありますね。

最近ではモデルのローラさんがクールでセクシーな表情を見せるCMも話題になりました。

そのジム・ビームを作っているのが「ジム・ビーム社」で、ジム・ビーム社にはクラフトバーボンと呼ばれる特別なバーボンがあります。

名前は「ノブ・クリーク」といって、歴史上の偉人にちなんでつけられました。

そんなノブ・クリークとバーボンにまつわるエピソードをご紹介していきます。



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リンカーン大統領が育った、ノブ・クリーク

「ノブ・クリーク」は特別といわれるクラフトバーボンのなかでもひときわ輝く名前を持っていますが、お酒に詳しい人なら知っていても日本人には少し馴染みが薄いでしょうか。

ノブ・クリークは川の名前で、バーボンの生産地アメリカのケンタッキー州にあります。

ここのウォルター・ブーン蒸留所でトーマス・リンカーンという人物が働いていました。

アメリカ16代大統領、エイブラハム・リンカーンの父です。

幼いころのリンカーン大統領もこのノブ・クリークのそばで育ちました。

トーマス氏の働く蒸留所ではしばしば、お金ではなくウイスキーそのもので給料が支払われることがあったそうですが、トーマス氏はお酒を飲まないためそのままにしていました。



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バーボンが生活を救った

1816年、エイブラハム氏が7歳のときに父トーマスはより肥沃な土地を求めてインディアナ州に移住することを決めました。

家財道具一式と会社から”支払われた”ウイスキーの樽を運びながら、一家は移動途中に大きな川を渡ることになります。

丸太小屋で暮らしていただけあってイカダを作って川を渡る作戦に出ましたが、バランスを崩したイカダから次々に家財道具が沈んでいき、川を渡り終えたときに一家に残されていたのは、唯一水に浮くことのできたウイスキーの樽でした。

家財道具を失いながらも何とかインディアナ州に移ったリンカーン一家は、手元に残ったウイスキーを生活に必要なものと物々交換することで暮らしていきました。

バーボンは物々交換の好条件

蒸留所の給料がウイスキーで支払われていたように、当事は物々交換の対象にウイスキーも入っていました。

なかでもバーボンは条件がよく、立派な財産という扱いだったのです。

移住の際にわざわざ家財道具にプラスしてウイスキーの樽を運んだのも、後に物々交換によって役に立つことが分かっていたからでしょう。

力強く豊かな味わいのクラフトバーボン

その後、法律や政治の勉強に励んだエイブラハム氏は見事大統領となり、1862年に奴隷解放を宣言しました。

そんな偉大なるリンカーン大統領が育ったノブ・クリークの名を冠したバーボンは、ビーム家6代目フレディ・ブッカー・ノー・ジュニア氏によって「禁酒法以前の力強いバーボン」として作り出されました。

厳選したトウモロコシを使って原酒を作り、オーク材を使用した樽は2度焼きされ、熟成に9年もかけたバーボンのアルコール度数は50%というまさに”力強い”ノブ・クリーク。

ナッツ様の香り、バニラのような甘さを感じさせる複雑な味わいが豊かで、これはもちろんストレートかロックでいただくのがおすすめです。

ノブ・クリークは世界的な評価も高く、ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)2014においてウイスキー部門の金賞を受賞し、ノブ・クリーク シングルバレルはウイスキー部門最高賞の「トロフィー」に輝いています。

まとめ

リンカーン大統領は少年時代に父のバーボンによって生活を送ることができました。

そしてリッチな香り、豊かで芳醇な味わいが魅力のクラフトバーボンは、偉大なる大統領が育った土地の名前を付けられ、名実ともに最高のバーボンとなりました。

特別な日のお楽しみとして、また、頑張った自分へのご褒美として、ゆっくりとノブ・クリークを味わいながら子供の頃の思い出や今後の夢・目標に思いをめぐらせれば、川に浮かんだ樽のように、人生の素晴らしいアイデアが浮かんでくるかもしれません。

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