奥深いバーボンの基礎知識
ウイスキーの蒸溜がいつ始まったかは未だに正確にはわかっていませんが、中世に錬金術をヒントにしてアイルランドで生まれたというのが定説です。
4世紀頃エジプトで錬金術が盛んになりスペインに伝わりました、その間に錬金術のるつぼに何らかの発酵液が入りアルコール度数の高い蒸留酒が生まれたというのがバーボンを始めとする蒸留酒の始まりです。
主原料はトウモロコシ
バーボンウイスキーとはアメリカンウイスキーの一種で、ストレートライウイスキー、ブレンデッドウイスキー、コーンウイスキーなどのアメリカンウイスキーのうち最もポピュラーなものがバーボンウイスキーです。
1948年に制定された連邦アルコール法におけるアメリカンウイスキーの定義は、穀物を原料にアルコール度数95%以下で蒸留し、アルコール度数40%以上でボトリングしたものになります。
バーボンウイスキーの定義は原料となる穀物の51%以上がトウモロコシであり、アルコール度数80%未満で蒸留し、内側を焦がした新しいホワイトオークの樽を使用したものになります。
コレが2年以上熟成されたものがストレートバーボンウイスキーと呼ばれます。
アメリカンウイスキーの生産量の約半分をストレートウイスキーが占め、そのほとんどがバーボンウイスキーとなっています。
天使の分け前
バーボンウイスキーの熟成にはホワイトオークの新樽が使用されますが、樽の木が中のウイスキーを吸うので熟成期間に蒸散して中のウイスキーが少し減ってしまいます。
コレをエンジェルシェアと呼び、昔の人々は天使に分け前を与えているからこそ美味しいウイスキーを手に入れることが出来るのだと考えていました。
エンジェルシェアの割合は標高が高い場所にあるスペイサイドなどでは1年間で2~3%ほどになり、アイラ島などの海沿いに蒸溜所が建てられているような場所では一年中適度な湿度があり、日中の気温はほぼ一定で安定しているのでエンジェルシェアの割合は1年間で約1%ほどであると言われています。
バーボンの歴史
最初にケンタッキーでウイスキーを作った人には諸説ありますが、1783年にウェールズから移民してきたエヴァン・ウィリアムズがルイヴィルで作ったものが最初だと言われております。
しかし、現在のようにトウモロコシを原料にしたのは1789年にスコットランドから移民してきたエライジャ・クレイグだと言われており、エライジャ・クレイグはケンタッキーではバーボンの祖と呼ばれています。
どちらにしてもウイスキーを作り始めた移民はウェールズやスコットランドからやってきたケルト系の民族でした。
独立戦争により莫大な借金を背負った独立政府によってウイスキーの課税が求められたために、課税を嫌った彼ら生産者や農民は当時まだ国外だった西のケンタッキー州に移住してきたようです。
そこには豊富に取れるトウモロコシと、バーボンの仕込みには欠かせないライムストーンウォーターと呼ばれる水がありました。
禁酒法
バーボンも例外なく大打撃を受けたものにアメリカにおける禁酒法がありました。
アメリカはキリスト教の影響で禁酒に対する考え方が元から根強くあったので19世紀の半ば頃から禁酒運動が盛んになっていきました。
1914年に第一次世界大戦が始まった頃、アメリカでは穀物を原料としているバーボンを始めとするウイスキーに対する風当たりが強くなりました。
禁酒法とはアメリカ国内での酒の製造販売輸出入を禁止するものでしたが、飲酒は禁止されていませんでした。
イタリア系マフィアのアル・カポネは禁酒法の施工猶予中に酒を貯め込み禁酒法が施工された後の酒の密売により巨万の富を築いたことは有名です。
テネシーウイスキーとバーボン
テネシーウイスキーとは、ケンタッキー州の南にあるテネシー州で作られたウイスキーで、製法の条件はバーボンウイスキーとほとんど同じです。
ただ1つ違うのはテネシーウイスキーは蒸溜後のスピリッツをサトウカエデの炭の層をくぐらせて濾過するチャコールメローイング製法というものが行われます。
ケンタッキー州やその他の州ではチャコールメローイング製法を行わないためテネシーウイスキーはバーボンウイスキーと区別されています。
名前の由来
19世紀にはケンタッキー州やテネシー州に多くの移民がやってきて西部の開拓が進みました。
するとケンタッキー州のウイスキーは樽に詰められてオハイオ川からミシシッピー川に下り、さらに遠くのルイジアナ州やニューオリンズなどの港町に運ばれるようになりました。
それがなぜバーボンウイスキーと呼ばれることになったかというと、バーボン郡という土地で作られたからというよりも出荷されたオハイオ川沿いの港がバーボン郡にあり、バーボン郡出荷という刻印が樽に押されるようになったので、そのことからケンタッキー州で作られたウイスキーをバーボンウイスキーと呼ぶようになりました。
銘柄
ワインや日本などもそうですがアメリカの魂的存在のお酒であるウイスキーにも沢山の銘柄があるので、いくつかご紹介致します。
[ノアーズ・ミル
ケンタッキーバーボン・ディスラーズ社が販売するスモールバッチバーボンで、蒸溜所自体は1980年に閉鎖されたウィレット蒸溜所で当時の古い在庫と他社から買い入れた樽を巧みにブレンドされたものです。
評価も高く2005年にサンフランシスコのコンテストで金賞を受賞しました。
クセがないので初心者におすすめです。
ブレッド・バーボン
創業者のオーガスタス・ブレッドの孫であるトム・ブレッドが1987年に復活させたライ麦比率が高くスパイシーでキレのあるウイスキー。
スモールバッチ製品で6~8年熟成の原種が使われています。
ビール好きな人にも楽しんでもらえるおすすめのウイスキーです。
[エズラブルックスブラック
バーボンウイスキーの名家メドレー家が1950年代に商品化したバーボンでエズラブルックスとは昔バーボンを仕込んでいた小川の名前でした。
一時期生産を停止していましたが1990年代に生産を再開しました。
コーン比率の高いマッシュビルを採用しています。
本格バーボンを楽しみたい人におすすめです。
ブラントン
シングルバレルバーボンでエンシェント・エイジ社が1984年に発売しました。
ラベリングは1本1本手作業でバーボン作りの名手であったアルバート・ブラントンにちなんで命名されました。
製品化したのはその弟子のエルマー・T・リーでした。
伝統の味なので、どんな方にもおすすめできるバーボンです。
ワイルドターキー
バーボンウイスキーといえば有名なのはやはりワイルドターキーですが、元々はオースティン・ニコルズ家が禁酒法解禁直後に製品化したものでした。
ワイルドターキー蒸溜所はローレンスバーグのワイルド・ターキー・ヒルという丘にありますが元はリピー蒸溜所がオリジナルで、現在はカンパリ社の所有です。
銘柄はワイルドターキー1種ですが、ビンテージ違いやレアブリードなどがあります。
ワイルドターキー蒸溜所が有名になったのは1970年にオースティン・ニコルズ社が買収されてからでした。
創業者のトーマス・マッカーシーは毎年七面鳥狩りに出かけておりその時持っていったのが自分で作ったワイルドターキーというオリジナルのバーボンウイスキーであり、コレが評判になったため本格的にバーボンウイスキーを作り始めたそうです。
まとめ
バーボンはトウモロコシを主原料としており複雑な歴史を経て全世界に広がったお酒です、日本では水割りで飲まれることが多いですが海外ではほとんどありません、それはワインを水割りで飲む人がいないのと同じで海外ではバーボンなどのウイスキーも多彩で多種多様なわずかな違いやちょっとした魅力を楽しむためのモノだからです。