失われたウイスキーの復活!イギリス・ウエールズ産ウェルシュ・ウイスキーのおすすめ
ウイスキーといえば、スコッチやアイリッシュが有名ですよね。
当然スコッチはスコットランド、アイリッシュはアイルランドで作られているウイスキーを指します。
それでは、ウェルシュ・ウイスキーをご存知でしょうか。
これはイギリス・ウエールズ地方で造られるウイスキーで、長い断絶の後復活を果たしたウイスキーなのです。
スコッチやアイリッシュとも違う、ウェルシュ・ウイスキーとはどんなものなのでしょうか。
目次
ウエールズってどんなところ?
イギリスは4つの地域から成る国(イングランド、ウエールズ、北アイルランド、スコットランド)ですが、ウエールズはその中の一つです。
グレートブリテン島の南西に位置しています。
代々イギリスの次期王位継承者となる最年長男子が「プリンス・オブ・ウエールズ」として戴冠するのが習わしとなっています。
また、ウエールズでは、ウエールズ語が話されており、英語と並んで公用語となっています。
イギリス、とひとくくりにするには少し複雑な地域です。
もともとはケルト民族が支配していた土地で、スコットランドやアイルランドに通じるものがあります。
ですからウイスキーにおいてもスコッチやアイリッシュとは兄弟のような関係と言えますね。
ウェルシュ・ウイスキーはアイリッシュより古い?
ウエールズにおけるウイスキーの歴史は古いと言われています。
しかし、いつからとははっきりと判明していません。
一番古い記録によると、356年に北ウエールズのバージー島に住む「ロールト・ヒール」という人が「chwisgi」という蒸留酒を作ったのが最初とされています。
しかし、この「ロールト・ヒール」という名前はウエールズ名ではなく、フランス語系の名前だそうですから、これをウェルシュ・ウイスキーの起源とするのは少々難しいかもしれませんね。
さらに、356年という年ですが、これはアイリッシュ・ウイスキーの起源とされる6世紀よりも随分と遡ります。
アイリッシュよりも2世紀も前にウイスキーが作られていたとしたら、起源論争ではウェルシュ・ウイスキーの圧勝と言えるのではないでしょうか。
ヘンリー8世の離婚問題がきっかけで、ウイスキー造りが広まった?
4世紀より作られてきたと言われるウェルシュ・ウイスキーですが、産業が大きく発展したわけでもなく、その記録は希少なものとなっています。
中世以降もウイスキーが作られていたという記録は残っていますが、どれも大規模なものではありません。
修道院などで細々と作られていたようです。
16世紀になると当時のイングランド国王ヘンリー8世がローマ・カトリックと大喧嘩してしまいます。
これは離婚を望んでいたヘンリー8世に対し、ローマ・カトリックがそれを許可しなかったことから起きたのですが、これによってヘンリー8世はローマ・カトリックとは縁を切ってしまいました。
ローマ・カトリックの代わりに、イギリスは英国教会を設立し、従来までの修道院や教会を解体します。
1534年のことでした。
これ以来、修道院で行われていたウイスキー造りは農民達へと移っていきます。
それから広く一般に広がり、ウェルシュ・ウイスキーは各地で造られるようになりました。
ウエールズはバーボンの故郷?
中世以降、個人レベルで造られ続けてきたウェルシュ・ウイスキーですが、1705年に商業的蒸留所が創業を始めました。
場所はウエールズ南西部デール(dale)という街。
創業一族はウイリアムズ・ファミリーでした。
この一族出身だったのがかのエヴァン・ウイリアムス(Evan Williams)です。
アメリカ開拓時代にケンタッキーでバーボンを最初に造ったとされる人ですね。
さらに、テネシーで有名な「Jack Daniel’s」を造ったジャック・ダニエルも、ウエールズ出身ではないかと言われています。
それは「Daniel」という名前がウエールズ名だから。
こちらははっきりとした系譜が確認されていないのですが、アメリカに渡り、アメリカン・ウイスキーの発展に寄与した有名人がウエールズ出身というのも興味深いですね。
歴史に消えたウェルシュ・ウイスキー
19世紀末から20世紀初頭までは、欧米各地で禁酒を求める声が強くなっていました。
社会の在り方や道徳教育を見直すとともに、飲酒についても厳しく統制されるようになったのです。
イギリスでは1835年に「全国絶対禁酒教会」という団体が設立されます。
プロテスタント教会が主流となって禁酒を唱え、アルコールの代わりに紅茶を飲むことを奨励していました。
これによってイギリス全土に紅茶が広まったと言われています。
こうした世間の風潮から、ウイスキーの蒸留所は次々と姿を消してしまいます。
1906年に北ウエールズのバラにあった大きな商業的蒸留所が閉鎖されてしまうと、以後ウエールズでニューポット(新酒)の製造が行われることはありませんでした。
ウェルシュ・ウイスキーの再挑戦
ウェルシュ・ウイスキーは長く失われ、ほとんど歴史の中に消えてしまいました。
同じケルト民族のスコッチやアイリッシュは成功をおさめ、新大陸アメリカでもウイスキー造りがさかんに行われていたのに、ウエールズではすっかり忘れ去られたものとなっていたのです。
そんなウェルシュ・ウイスキーを復活させようとする動きがでたのは1990年になってから。
しかしその計画は杜撰ともいえるものでした。
ウエールズで複数のスコッチウイスキーを混ぜてビン詰めし、それを「ウェルシュ・ウイスキー」として売り出そうとしたのです。
ウエールズで行うというのが肝らしかったのですが、使用しているのがスコッチである限り、それはスコッチウイスキーに過ぎません。
この計画はすぐに廃止されました。
本当の再興の動きがでたのは1998年のことです。
ヘロワイン(Hirwaun)という街のパブで、経営者のエバンス氏が友人らとウエールズ独自の蒸留所を造る計画を立てました。
そしてその後2000年にペンダーリン(Penderyn)蒸留所を始めたのです。
ペンダーリン(Penderyn)蒸留所
2000年にThe Welsh Whisky Companyはペンダーリン蒸留所を設立し、本格的なウェルシュ・ウイスキーの製造を始めました。
場所はブレコン・ビーコンズ国立公園(Brecon Beacons National Park)で、ウイスキーの為の水もこの土地のものを使用しています。
しかしすべての工程をここで行っているわけではありません。
蒸留前のウォッシュ(ビールに似た醸造酒)はブレインズ・ブリュワリー(Brains Brewery)というウエールズの地ビール醸造所から入手しているのです。
発酵が終わってアルコール度数8%くらいになったもろみをペンダーリン蒸留所で蒸留・貯蔵・熟成・瓶詰めを行っています。
通常モルトウイスキーは2回の蒸留を行いますが、ペンダーリンでは1回のみ。
その蒸留器もデヴィッド・ファラデー博士が発明した、他とは全く違うものです。
この特別な蒸留器により、1回の蒸留でも繊細でなめらかな味わいが可能となりました。
貯蔵・熟成にはバーボン樽が使用されています。
さらに最終仕上げにはマデイラワイン熟成に用いた樽を使用。
その他ワイン樽やシェリー樽を使うこともあります。
奥深い味わいのシングル・モルト・ウイスキーとなっています。
ペンダーリン(Penderyn)のおすすめウイスキー!
見事復活を果たしたウェルシュ・ウイスキー。
スコッチやアイリッシュほど厳格な規定がないので、自由でチャレンジングなところが魅力です。
ペンダーリン蒸留所のおすすめを見てみたいと思います。
Penderyn Celt
クオーターカスクで仕上げられた、シングル・モルト・ウイスキーです。
ラベルはウエールズの国旗のドラゴン。
グリーンに赤というコントラストが強烈で目を引きます。
シガーのような苦みのある深い香り。
口に含むと甘さの中にスパイシーさが広がります。
ほろにがさが口に残り、フレッシュな印象。
Penderyn Madeira
バーボン樽で熟成され、マデイラワインの樽で仕上げられました。
鮮やかなゴールドが美しいボトルです。
クリームタフィー、ドライフルーツやレーズンのクラシックな香り。
口に含むとドライでまろやかな甘さを感じます。
熱帯果実やバニラ、レーズンの風味が口に残ります。
まとめ
近年やっと復活を果たし、注目を集め始めたウェルシュ・ウイスキー。
もともとは香草を使用した独特の風味のものでした。
バーボン樽やマデイラワイン樽を使ったものは風味も良く、ウイスキーが苦手な人にも楽しめます。
スコッチに比べるとスモーキーさも少ないので、ライトに楽しみたい人にはとくにおすすめ。
現在はペンダーリン蒸留所のものしかありませんが、これからまだまだ増えてくるかもしれません。
大注目のウェルシュ・ウイスキー、興味を持たれたら是非、探してみて下さいね。