スコットランドのウイスキー蒸留所
ウイスキーの製造には原酒をブレンドする作業があり、その作業員のことをブレンダーと呼びますが、スコットランドのブレンダーには共通のルールがあり、決して口や舌を使ってテイスティングをせず、必ず鼻を使います。
舌では数種類のアロマしか識別出来ませんが、鼻なら200から400種類を分類出来ると言います。
それほど厳粛に作られるのがスコットランドのウイスキーです。
カーデュ蒸留所
有名なジョニーウォーカーを作り出す蒸留所で、このカーデュ蒸留所の創業者は1811年から農閑期に副業として密造を始めたジョン・カミングです。
ジョンカミングの妻ヘレンは勇気ある女性でした、密造をチェックする監査官が現れると査察の情報を遅らせるために自ら進んで宿と食事を用意し時間を稼ぎました。
しかし夫のカミングは何度か捕まり、ついに1824年に正式に蒸留所として認可を受けました。
そしてジョンカミングの息子ルイスが蒸留所を受け継ぎ、ルイスの死後彼の妻であったエリザベスが蒸留所を受け継ぎました。
エリザベスはなかなかの商売上手で、カーデュの名声を高めました。
カーデュの歴史はこの2人の女性によって作られたと言っても過言はありません、カーデュで作られるウイスキーが女性的な香りがすると言われているのも、ポットスチルやボトルにも美しい曲線があり女性的に見えるのも、この2人に起因するのかもしれません。
カーデュが女性に人気があるのは、その華やかな味わいだけでなく、蒸留所の歴史にも理由があるのです。
タリスカー蒸留所
カルスボストという小さな村にあるスカイ島唯一の蒸留所です。
この美しい島には悲しい歴史が刻まれています。
その昔、スカイ島では農耕から牧畜へと大規模な産業の方向転換がありました。
そのため、貧しい農民たちは追い出されるようにして島を去り、島を出て行った彼らが住んでいた跡地に蒸留所が出来たと言われています。
タリスカー蒸留所の名称は、スカイ島の領主であったマクドナルドが息子のために建てた屋敷の名前からつけられています。
ここのポットスチルのラインアームには独特の曲線があることが有名で、昔は3回蒸留が基本でしたが現在は2回蒸留を実施しており、その味はパワフルで荒々しいと評判です。
ジョニーウォーカー資料館
世界で一番飲まれているブレンデッドウイスキーであるジョニーウォーカー、そな歴史を集積した資料館BRANDS HERITAGEです。
ジョニーウォーカーおじさんは、発売当初から広告に登場しています、歴史の広告を見るとこのおじさんの顔が少しずつ変化しているのがわかります。
ジョニーウォーカーの赤と黒が登場したのは1908年で赤のブレンデッドのメイン・モルトはタリスカー、黒のメイン・モルトはカリーラです。
ロイヤル・ロッホナガー蒸留所
蒸留所が創業を開始したのが1845年、近くにある山の名前であるロッホナガーが蒸留所の名前の由来です。
その夏、ヴィクトリア女王がすぐそばにあるバルモラル城を購入し夏の離宮としました。
蒸留所を創業したばかりであったジョン・ベグは冗談交じりで女王に招待状を出しました。
「蒸留所を見学にして下さい。」というものでした。
ところがその翌日、本当に女王一家がやってきたのでした。
工場とウイスキーを楽しみ女王一家が帰った次の日、なんと王室御用達が許されました。
この時から蒸留所にロイヤルの名前がつきました。
ベン・ネヴィス蒸留所
スコットランド最高峰のベン・ネヴィス山のふもとに蒸留所があるところからついた名称です。
1825年の創業なので、その歴史はハイランド西地区では最も古いです。
しかし1983年にその長居歴史は一時中断され、新しいオーナーとしてこれを再開させたのが日本のニッカウヰスキーでした。
ニッカウヰスキーといえば創業者の竹鶴政孝が思い出されます。
日本人として初めてスコットランドの蒸留所に足を運び、ウイスキー作りを学びました。
1934年、北海道の余市に蒸留所を設立以来し、ニッカウヰスキーが生まれました。
日本でスコットランドに負けないウイスキーを作るという竹鶴政孝の夢は実現しましたが、実は生前実現出来なかった夢が一つあります、それが本場スコットランドで自社のウイスキーを作ることでした。
その後、竹鶴政孝の子息である竹鶴威によってその夢は実現しました、それがベン・ネヴィスの再開でした。
ニッカウヰスキーは竹鶴政孝が日本で構築したさまざまなノウハウをデータ化し、ベン・ネヴィスにフィードバックしました。
マッシュタン、発酵槽、ポットスチルに至るまで改良し手を加えました。
そうして竹鶴政孝の夢はスコットランドに帰ってきました。
ストラスアイラ蒸留所
スペイサイドにあるキースという町の中に蒸留所があります。
スペイサイドで最も古い蒸留所で、1786年にジョージ・テイラーによって創業されました、シェリー酒の香りとコクのある風味で誰にでもおすすめできる伝統の味を守っています。
設立当初はリネンで栄えたキースにちなみミルトン蒸留所と呼ばれていて、ストラスアイラに改名したのは1950年になってシーグラム社の傘下に入るシーバス・ブラザーズに買収されてからでした。
蒸留所は設立時代のものですが、19世紀に入ってから増築がありました。
今も残っている水車やパコダのキルンもその時作られ、スペイサイドで最も美しいと言われている建物の設計は、エルギンの有名な建築家チャールズ・ドイグによるものです。
シーバス・リーガルがメインの原酒をストラスアイラに変えてから、味も風味も一段とグレードアップしていると言われています。
ストラスアイラの原料となる水は、古くから馬の妖精ウォーター・ケルビーに守られている神聖な泉とされているフォン・ブイエンの泉から取っています。
ラガヴーリン蒸留所
アイラ島に蒸留所があります。
ラガヴーリンとは水車小屋のある窪地という意味で、昔から周辺は大変な湿地帯でした。
この場所にジョンストンという男が住み、かなりの昔から密造酒を作っていました。
記録によると1742年にはジョンストンの住所登録がなされています。
創業年は1816年になっていますが、これはこの時認可を受けたためという可能性があります。
1835年にホワイト・ホースを創業するピーターマッキーの伯父J・L・マッキーに売却されました。
ラガヴーリンはホワイト・ホースのメインモルトとしても有名ですが、シングルモルトとしても評価が高く、16年ものはブレンデッドに使用していません。
アイラ島特有の典型的な独特の香りと個性をもつラガヴーリンに惹かれるファンも多いです。
ラフロイグ蒸留所
バランタインを作ることで有名で、ハードでスモーキーな男性的特徴をもつウイスキーを作ります。
しかし、面白いことにラフロイグ蒸留所では1950年から70年代にかけてベッシーウィリアムスという女性が所長を務めています。
それはスコッチウイスキー史上初の出来事でその後もありません。
ベッシーウィリアムスは昔の製法を守りながら蒸留所の大改修を実行し、現在ラフロイグの名声を確立するのに大変貢献しました。
モルトウイスキーの中で最も男性的であると言われたラフロイグのウイスキーは女性がリーダーになって作っていたのです。
まとめ
カーデュ蒸留所、タリスカー蒸留所はジョニーウォーカーを作るための原酒を作り出すことで有名ですが、ロイヤル・ロッホナガー蒸留所のようにヴィクトリア女王との逸話が有名であったり、ニッカウヰスキーが復興したベン・ネヴィス蒸留所や、シーバスリーガルのストラスアイラ蒸留所など、世界中で有名なウイスキーを作る蒸留所がひしめきあい、切磋琢磨しているのがスコットランドという国です。