一体どこから生まれたの?ウイスキーの起源を徹底的に探究!
私達の身の回りには様々なお酒があり、コンビニやスーパーで簡単に入手することができます。
現在では多種多様なお酒が店頭に並んでいますが、そこで気になるのがそのお酒の起源。
一体いつ生まれてどのような軌跡を歩んで来たのかを知ればお酒もまた一段とおいしくなるもの。
今回は特にウイスキーの「起源」について徹底的にみていきましょう。
蒸留酒の起源は不明
ウイスキーは穀物を発酵させ蒸留したお酒です。
いわゆる蒸留酒の一種ということになりますが、実は蒸留酒の起源は定かではありません。
お酒自体は古代から醸造酒として存在していました。
中国北部にある紀元前7000年ごろの遺跡ではハチミツを主原料とするミード酒の痕跡が見つかっていますし、ブドウから作られるワインは中東のメソポタミア地方で紀元前4000年には飲まれていたとのこと。
またイランでは紀元前5000年前のビールがゴディン・テペ遺跡なるところから発見されてもいます。
それから紀元前1900年ごろには古代エジプト人がビールやブドウ酒について記述した文書もあるほど。
醸造酒自体は非常に簡単な仕組みでできるため、特定の起源があると考えるよりは自然に世界の各地で作られるようになったと考えるのが妥当でしょう。
醸造に必要なのは「糖・水・酵母」だけです。
水の中で、酵母菌が糖を炭酸ガスとアルコールに分解すればそれだけでできてしまいます。
特にブドウには酵母菌が最初からついているので、ブドウを収穫して放置していたら勝手にお酒ができていたのかもしれません。
ではウイスキーが属する蒸留酒はどうかというと、こちらも明確な起源はなかったりします。
ただ仕組みは醸造よりも遥かに複雑で、蒸留するための道具を作るには高度な技術が必要です。
蒸留の仕組みは醸造酒を熱し、蒸発させた気体を冷やして集めるというもの。
アルコールは沸点が78.3度なのに対し、水が100度なのでよりアルコールが気化しやすく、蒸気を冷やせば濃度の高いアルコールを集めることができるわけです。
こうした機器はそうそう世界的に同時期に生まれるものではありません。
最初は香水を作るための蒸留器
世界最古の蒸留器と思われるものはイラクにある紀元前3500年前のメソポタミア文明の遺跡テペ・ガウラで見つかっています。
この蒸留器は二重構造をした円錐の形状をしており、お酒ではなく香水を作るためのものだったとのこと。
ですが蒸留できる以上、この時点で既にお酒が作られていてもおかしくはないかもしれません。
なおメソポタミア文明ではビールの原型となるお酒が既にありました。
具体的な蒸留の証拠としては紀元前1200年ごろと思われる古代メソポタミアで使われていたアッカド語による石版の記録に記されています。
果たしてこの2000年の間に醸造酒を蒸留しなかったのかと言われると疑問が残るところ。
ただ蒸留の精度が十分でないと仮定すれば、お酒を蒸留したことがあってもアルコール濃度が高くなるとは思わなかったのかもしれません。
錬金術の誕生
時代は流れ紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけてギリシャ哲学が勃興することになります。
ソクラテスを始めとしてその弟子プラトンがソクラテスの言葉を記述し、プラトンの思想をその弟子アリストテレスが発展させました。
彼ら並びに学徒による学問の発展は目覚しく、多種多様な学問へ影響を与えた程です。
ちなみにギリシャ哲学は現代の思想にも通ずる部分がいくつもあるのでおすすめの哲学だったりします。
また、アリストテレスはアレクサンドロス3世の家庭教師であり、アレクサンドロス3世は度重なる遠征によって広大な土地を手中に収めています。
その結果、学問を始めとしたギリシャ文化とエジプトなどの文化が混ざり合いヘレニズム文化を興すことになりました。
エジプトではこの頃、錬金術が生まれました。
当時の錬金術は科学というよりは宗教的な色彩を帯びたもので現在の科学とはまた異なるものといえるでしょう。
ギリシャの哲学とエジプトの技術が組み合わさり、実践的で魔術的な学問である錬金術がここに誕生したのです。
パノポリスのゾシモスの蒸留器
次に時代は更に飛び、4世紀にエジプトで活躍した錬金術師パノポリスのゾシモスが残した記述へ移ります。
ゾシモスは最古の錬金術師とも呼ばれる存在で、蒸留装置を描いた絵を残しているのです。
アリストテレスも蒸留を行ったとみられる記録が残っているので、この時点ではもう蒸留は広く知られた技術だったのかもしれません。
パノポリスのゾシモスの蒸留器はアランビックとも呼ばれ3つの部分からなりました。
蒸留する液体を溜める「ククルビット」そして気化したものを集めるフタ「アランビック」そして最終的に液体が溜まる「レトルト」の3つです。
これは現在の蒸留器の原型でもあり、基本的な構造は今も変わりません。
錬金術師によるお酒の蒸留
7世紀から8世紀にかけて活躍した錬金術師でもあり哲学者でもあるジャービル・イブン=ハイヤーンは蒸留酒の始祖的な存在です。
少なくとも記録に残っているという意味では彼がウイスキーの始まりといっても良いでしょう。
ジャービルは有機化合物を発見したり王水を発明するなど化学分野の基礎を作った大学者で、その功績の中にアランビックの改良もありました。
そして彼はまた、様々な液体を蒸留しその過程でブドウ酒を蒸留するとアルコール濃度の高い液体ができることを見つけたのです。
まさにこの瞬間、蒸留酒は生まれたといっても良いでしょう。
アクアヴィテとしてヨーロッパに広まる
錬金術はその後ヨーロッパにも広まるようになりました。
その際にアルコールの蒸留方法やアランビックないしその作り方が伝わっても何もおかしくはありません。
そしてヨーロッパでは蒸留酒はアクアヴィテ(生命の水)という名前で、薬として広まることになります。
ウイスキーの語源はこのアクアヴィテをスコットランド及びアイルランドの言葉であるゲール語でウスケボーとかウシュクベーハーと読んでいたことが由来のようです。
当時は修道院でウイスキーを製造していたと思われるのですが、このあたりの記録も明確に残されているわけではありません。
記述として確認できるのは1494年の王室の記録帳に「修道士ジョン・コールに王の命によりアクアヴィテを作らせた」とある部分。
なおジョン・コールには500ボトル分を作るのに十分な量の麦芽が送られたとのこと。
麦芽から作るアクアヴィテ=蒸留酒とは、もちろん現在で言うウイスキーのことを指しています。
イギリス併合と密造酒の時代の幕開け
1644年にスコットランドでは蒸留酒へ課税をするようになりました。
それから時が経ち、イングランドと併合しイギリスが誕生するのですが、1713年にイングランドの麦芽税がスコットランドの住民にも課せられることになります。
もちろん住民としては税が重過ぎてやっていられないので密造酒の時代が幕を開けることになるのでした。
重税から逃れるために生まれた豊かな風味
重税を課せられる危険はあるもののお酒は飲みたいしウイスキーを売ってお金を儲けたい。
住民の生活も豊かではないので、どうにかして上手く密造酒を作り続けなければいけません。
そんなときに徴税逃れのために彼らが目をつけたのがウイスキー作りに欠かせないシェリー樽です。
このとき、何とシェリー樽にお酒を隠していたら勝手に風味がついてよりおいしくなってしまいました。
これが現在のウイスキーの源流なのですから面白いものです。
重税を課さなければ今のウイスキーは無かったのかもしれません。
まとめ
ウイスキーの起源について詳しくみてきました。
こうしてみるとウイスキーが誕生するには何より錬金術の発展が必要で、錬金術のベースにはギリシャ哲学の発展も必要だったことが分かります。
歴史の流れの雄大さを改めて知らしめられるような流れです。
ウイスキーを飲むときには徴税しにきた役人が樽の横を素通りするようなイメージで飲んでみるとおいしいかもしれません。
お酒の密造はいけませんが、当時のスコットランドの人々に思いを馳せるのも良いでしょう。